50歳の深津絵里は、やはり50歳に見える話
「若く見えると言われます」と、無邪気に他人に言える人は、女性より男性のほうが多いと思う。
女性のほうが外見についてシビアな目線に晒されがちなので、自身で冷徹な客観性を備えているし、何より自らわざわざハードルを上げるメリットがない。本当に若く見えたとすれば嫌味だし、年相応に見えたのだとすれば痛々しい。どちらに転んでも良いことはないので口をつぐむようになる。
一方の男性は、相対的に外見に無頓着で、周囲の社交辞令を脳天気に真に受けてしまう。
(さらに言えば、この言葉が「婚活」の場で散見されやすい気がするのは、「若く見える=ゆえに年下の女性とマッチングしても自分的には違和感なし」という暗黙の自己主張があるのだろうと踏んでいる)
言わずもがなだけれど、「若く見える」と言われた時点で、実年齢は「若くない」のだ。
20歳の人に「若者に見えますね」とは言わないように。
妙齢の男性たちは「若く見えますね」と言われた時点で、皮肉な話だけれど「若くないですね」と言われたのだと自動翻訳して受け止めておくことが、あらぬ事故を未然に防ぐ手立てだろう。
そうは言っても、今の時代、全般的に若見えすることはたしかだ。昭和の40歳と、令和の40歳ではまるで違う。つまり今の時代の見え方に、年齢基準をアップデートする必要がある。
たとえば電車で目の前に座っている人を見て、相手の年齢を推測できるだろうか。
年代を「20代/アラサー/アラフォー/アラフィフ/60代」の5択でカテゴライズできるだろうか。何を基準にどう判断すればよいのか。
ある日、この方法を発見した。
(ちなみに、10代は小中高生なので一目で判別できるだろうし、70代以降は自分の年齢では知見がなさすぎて判別できない)
まず目の前に、妙齢の男性・女性がいるとイメージしてほしい。
その人を「大学生集団」に混ぜてみたときに違和感がなければ、それは「20代」だ。
女性ならば、女子大生のグループで一緒に盛り上がっている画を想像してみる。ちょっとでも無理があれば、アラサー以降だ。
次に、その人に「子ども」がいると仮定して、その子がいくつくらいに思えるか。
学齢期前の「乳幼児」が浮かぶとすれば、それは「アラサー」だ。
まだ小さい子どもを保育園に急いで迎えにいく画が想像できれば、間違いない。
「小学生」が浮かぶとすれば、それは「アラフォー」。
「中高生」が浮かぶとすれば、「アラフィフ」。
「大学生以上」が浮かぶとすれば、「60代以上」だ。
(ここで肝心なのは、実際に何歳の子どもがいるかではなく、「何歳の子どもがいそうに見えるか」だ)
この中では、アラフィフと60代の見分けがやや難しい。「もしその人が会社にいたらどのくらいの役職にいそうか」と考えてみて、結構な上役に見えたり、引退してそうに見えたら60代ということにしている。(この年代に対するぼくの解像度の低さは否めない)
こうした目線で見てみると、よく芸能人が「奇跡の○歳」と持て囃されたり、「まるで20代みたい」と煽られていても、「大学生の集団に混ぜてみたら、どう考えても違和感しかない」と判断できるだろう。
決してあげつらうわけではないけれど、この記事で取り上げられているほしのあきも深津絵里も「とても美しいアラフィフ」に見える。せいぜいアラフォーくらいだろう。つまり大まかに言って年相応だ。(むしろ「とても美しいアラフィフ」というのは最高の褒め言葉だと思うけれど)
もはや芸能人でさえ年相応に見えてくるのだとすれば、一般人が「若く見える」ことに必要以上にこだわっても虚しい気がしてくるのだが、いかがだろうか。