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どれほど高騰しようとも爆安な秋刀魚
今週からとたんに冷え込み、正真正銘の秋がきた。
扇風機を仕舞いこむのと入れ替えにヒートテックを取り出して着こんでいる。陽が落ちるのもやたらと早い。夕方5時半には真っ暗闇である。ついこないだまで夜7時でも薄明かりが残っていた気がするのに。
妻のみみさんは、花粉と冷え込みが一挙に押し寄せる秋が苦手だという。
ぼくは、紅葉と散歩を楽しめる季節としてとても好きなので(特にジャケットを羽織って出かけられる気軽さが大好きで)、少しでも秋を楽しんでほしいと思い、唐突ながら、秋刀魚を買ってみた。彼女の大好物だった。
一尾300円。思わず身が固まるほどの高騰ぶりだ。
さっそくグリルで焼き、大根をおろして、焼き魚用の長細い皿に載せる。熱々の身をほぐして、醤油をかけて食べる。おいしい。みみさんが狂喜乱舞している。嬉しい。
翌日、彼女は業務研修で東京の端にある辺鄙な地域に出向いた。最寄駅から徒歩15分。周囲にはコンビニと弁当屋しかなく、お昼どきの弁当屋は待ち時間40分とのことで、やむなくコンビニへ行った。
彼女は食品を買い入れるときに成分表示を注意深く吟味する人なので、コンビニとあまり相性がよくない。以前言われたことがある。「コンビニに私の食べたいものは売っていないの」
サラダやパンなどを見繕って、会計は700円。とりたてて食べたいわけでもないその食品群を口にしながら、これなら昨日の秋刀魚がいかに安かったことか、と思ったという。
自炊だから安上がり、などという次元をはるかに越え、満足感の桁が違う。
ぼくはコンビニのチルド惣菜やレトルト食品も、外食より安上がりと思っておいしく食べてしまうほうなのだけれど、「価格感」と「満足感」のバランスはいつもよくできていると半ば感心してしまう。
価格感と満足感の差分が「納得感」なのだと思っていたけれど、話はそんなに単純でもなさそうだ。
300円の秋刀魚は、700円のコンビニ食と較べられたときに、満足感がさらに上がったし、700円のコンビニ弁当も、1200円の定食料理と較べられたときにまた位置付けが変わるだろう。期待値の掛け算と、相対評価の割り算も加味する必要がある気がする。
つまり、どれほど“高騰しようとも爆安な”秋刀魚。
この秋はできるだけ食べたいと思う。