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15時の手紙

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ささやかな昨日のできごと。
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2023年7月の記事一覧

傲慢と善良と偏見

ぼくと妻は婚活で出会い、10週間後に結婚した。 衝動的な「スピード婚」に映るかもしれないけれど、ぼくとしてはむしろ慎重にことを運んでいる意識があった。 すぐに一緒に暮らしてしっくりきていたし、お互いの両親にも紹介し終えて歓迎してもらえていたので、無為に入籍を引き延ばすほうが違和感があった。 式は挙げず、結婚指輪も買わず、知人や親戚にとりたてて報せることもせず、二人だけでするすると日常の地続きのように、ごく自然ななりゆきとして新婚生活が始まった。 そして結婚後に、いろいろなこ

絆が深まるか、溝が深まるか

電動自転車は、夕暮れの鴨川を疾駆していた。 妻が前方を走っている。なだらかな下り坂で、ほとんどペダルを漕がずともするすると風を切って進んでいく。 上賀茂神社を出たときには山向うに陽が沈み、闇に呑まれるまでの青白い光が空に取り残されていた。日中は35度を超える酷暑だったけれど、この時刻には30度ほどに落ちていた。川面を渡る風が存外に涼しい。蝉の鳴き声が通り過ぎていく。 川べりでは時おりジョギングする人とすれ違うくらいで、妻はしぜんと陽気に歌を口ずさみだす。自転車の籠には、行き

人が最後に護るものは

太宰治の『斜陽』は、終戦後に文京区西片の屋敷に住んでいた貴族が、家を売り払って伊豆に移り住む話である。太宰の愛人が書いていた日記を借用して小説化したと言われているので、当時のハイパー・インフレーションのリアルな世相が描かれている。 これは先日「通貨なき生活」を思考実験した際の暮らしぶりに近い。 その最後に思い至ったのは、お金の話ではなかった。 通貨を失ったとき、われわれは何を護りたいのか。 これまで通貨が暴落した国は枚挙にいとまがない。そこに生きた人びとがどのように暮らし

お金と不安の関係

妻とよく話す話題がある。 実入りを増やすために、副業などのシフト勤務を増やすべきか? 将来への蓄えはどのくらいあれば適切なのか? 時間は有限で、お金もほぼ有限となると、トレードオフになることが多いので、どちらを優先すべきかは多くの人が頭を悩ませることかもしれない。 ぼくの結論は、おおかた出ている。 自分の「時間」を優先する。 「お金」は食うに困らない程度にあれば十分で、もし余禄を得るにしてもなるべく自分の時間を奪われずに(人的資源を投下せずに)稼げる方策を考える。それが実際

映画は、光を浴びる時間

10年前に、自宅の一室にシアターを設けた。 壁にスクリーンを提げ、本棚にプロジェクターを据え、スピーカーから音を出す。あとはDVDプレイヤーやインターネットを繋ぎ、横たわれるソファを置けば完成だ。 初めて映像がスクリーンに投射されたときには、ちょっとした感興を覚えた。テレビ画面とは比較にならないサイズ感、光が部屋を横切る物理的な手ざわり、ズンと胸に響くスピーカーの重低音。これはもう「れっきとした映画館」だった。 初期費用として数十万円を投下したけれど、最初の数年で1000本

ソール・ライターの、シャイな眼差し

雨に滲む窓、窓の向うにほのかな人影と、年代物の自家用車。美しい写真がプロジェクター投影されて次々に切り替わる。 ニューヨークの街角を撮り続けた写真家「ソール・ライター」の回顧展に出かけた。 ソール・ライターは、抽象絵画制作からファッション雑誌の仕事を経て、50歳ごろから隠遁し、自身の写真表現を追求。80歳を過ぎてから脚光を浴びた作家である。イーストヴィレッジの築100年のアパートメントに30歳から亡くなるまで居住し、街角スナップのような写真を撮って約90年の人生を終えた。

持てる力をすべて出すから、人柄が出る

週末にピアノ三重奏のコンサートを聴きに行った。 ピアノ、バイオリン、フルートという女性3人の編成で、それぞれの奏者は各楽器の後進指導にあたっていることもあり、ベテランらしい息の合った安定感のある演奏を楽しめた。 帰り道では、いつものように妻と感想を伝えあった。 妻は声楽科を出ているので、音楽への目線が細やかだった。 「バイオリン奏者は、ふだん生徒への頭出しに慣れているのか弾き始めが1拍早い」 「ピアノがレガートでずっと途切れず、粘り強い演奏にグッときた。きっと他の2人は演奏

飲み会の居場所

妻が職場の飲み会から帰ってきた。 「私はいつも会話の輪に入れなくて、ぽつんと周りを見ている感じになる。それで家に帰るといつも落ち込んでしまう」という。 ぼくも若いころはそうだった。 大勢の飲み会が苦痛でたまらなかった。そういう席になるとがぜん張り切って場を回し出す輩も、中身の乏しい馬鹿話も、楽しくもないのに追従笑いしている自分も嫌いだった。 でもね、と妻がいう。今日は家に帰ればあなたがいると思ったら、そんなに落ち込まずに済んだの。 ああ、とぼくは思い出していた。ちょうど同じ

怒りを抑えるのではなく、怒りの必要がなくなるように

ぼくはそれほど怒りやすいたちでもないとは思うけれど、苛々してしまうことはたびたびある。すると、妻はてきめんに悲しげな眼をする。(妻に対してでなく、他人に対して苛立ちを覚えたときでも同様だ) 「急にカッとスイッチが入る人が苦手なの」 ぼくもそこまで「怒った」わけでなくとも、妻は声音を聞き分ける鋭敏なセンサーを持っているので、ほんのわずかな怒気であっても察知され、カウントされる。 ぼくは異論を試みる。「人間、気分を害することがあるのは、そんなに責められるべきことなのかな」 すると