
人が最後に護るものは
太宰治の『斜陽』は、終戦後に文京区西片の屋敷に住んでいた貴族が、家を売り払って伊豆に移り住む話である。太宰の愛人が書いていた日記を借用して小説化したと言われているので、当時のハイパー・インフレーションのリアルな世相が描かれている。
もう駄目だ、家を売るより他は無い、女中にも皆ひまを出して、親子二人で、どこか田舎の小綺麗な家を買い、気ままに暮らしたほうがいい
(中略)
家は高台で見晴しがよく、畑も百坪ばかりある、あのあたりは梅の名所で、冬暖かく夏涼しく、住めばきっと、お気に召すところだと思う
これは先日「通貨なき生活」を思考実験した際の暮らしぶりに近い。
その最後に思い至ったのは、お金の話ではなかった。
通貨を失ったとき、われわれは何を護りたいのか。
これまで通貨が暴落した国は枚挙にいとまがない。そこに生きた人びとがどのように暮らしたのかを記した文献を読むと、人は最終的に何を望みたいのかについて考えさせられる。
ユーゴスラビア紛争下のベオグラードに生きた詩人・山崎佳代子さんの手記もその一つだ。
給料をもらうと、すぐにクネズ・ミハイロ通りの闇の外貨を扱う男たちのところに走っていき、ディナールを売りドイツ・マルクを買う。それが嫌なら、金は物に替えることだ。(中略)毎日、レートは変わっていった。最後には、分刻みと言ってよく、一日に三度も闇レートは置き換えられていった。(中略)この土地に生きる人間は、一人残らず、巨大な監獄にいた。
物価が高騰し、空爆が続くベオグラードに彼女はとどまり、三人の子育てをしながら大学で教鞭をとり続ける。詩を発表し、現地の様子を新聞寄稿などで発信する。
ハイパーインフレーションだけでなく、空爆にも怯えながらわざわざ外国に踏みとどまるのは、驚くほど肝が据わっている。
彼女は何を護ろうとしたのか。
それはおそらく文化ではないか。
文化は、生存欲求とは別枠にある、人を人たらしめる、不要不急の、だからこそ根源的な資本である。(人はパンのみに生きるのではないので)
文化は、世代を継いで残さなくては消えていく儚いものでもある。三世代の断絶で消滅するとさえ言われている。通貨を失っても、それはやがて荒療治で戻すことになるけれど、文化を失うと容易には取り戻せない。
人と人は、最終的にはカルチャーで共感する。
心の深奥で分かち合えるのは、文化なのだと思う。
だから、通貨の信認を失ったとき、ぼくらには自分たちの文化を護る気概があるのかが試されると覚悟している。