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ソール・ライターの、シャイな眼差し
雨に滲む窓、窓の向うにほのかな人影と、年代物の自家用車。美しい写真がプロジェクター投影されて次々に切り替わる。
ニューヨークの街角を撮り続けた写真家「ソール・ライター」の回顧展に出かけた。
ソール・ライターは、抽象絵画制作からファッション雑誌の仕事を経て、50歳ごろから隠遁し、自身の写真表現を追求。80歳を過ぎてから脚光を浴びた作家である。イーストヴィレッジの築100年のアパートメントに30歳から亡くなるまで居住し、街角スナップのような写真を撮って約90年の人生を終えた。
各年代を一覧する展示を見て、彼がとても知的でシャイな人物であることがうかがえた。
写真に写るのはなんの変哲もない街角と人物なのだけれど、ファッションポートレートを除くと、人物を正面から相対して撮ったショットがほとんどなく、まるで盗撮をするようにシーンが切り取られている。ショーウィンドウなどガラス越しで撮られたものも多い。縦位置の構図でショットを決めるセンスにも圧倒される。
写真は、写真家の眼そのものなので、何をどう見ているかが露わになる。人を撮れば、人との接し方が露わになる。
彼はきっと人と眼を合わせることも苦手だったような気がする。いささか偏屈な人でもあったかもしれない。あるいは、本質的に人に興味がなかったかもしれない。
だからこそ、強く惹かれてしまう。
壁に掲げられた説明パネルの、彼とパートナーの女性(ソームズ・バントリー)との暮らしぶりが書かれた一節を読んで、ああやはり作品の印象そのままの人だったと合点がいった。
ライターにとって、絵を描くソームズに寄り添い、二人で本を読み、音楽を聴くことは生活の一部であり、欠かすことの出来ないものでもありました。「長年、生活費に困窮し、大家の立ち退きを迫るメモがドアに貼られることもあったが、二人は互いの才能を強く信じて、なんとか生き延びたのである」
ふたりの質素な暮らしむきが、眼に浮かぶようである。
冬の陽射しのあたるテーブル、結露する窓、コーヒーの湯気。ソファで本を読むふたり。あまり言葉は交わさず静謐な空気に包まれている。夕方、着古したコートに身を包んで散歩に出る。重たいカメラは、常に首から提げている。コインランドリーで洗濯を済ませ、食材を買い込み、料理をつくり、アイロンをかける。何でもないこまごました暮らしぶりの中に、濃密な空気が積もっていく。
帰り道にはすっかり感化されて、久しぶりにスマートフォンではなく一眼レフで写真を撮ってみたいと思っていた。