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人生の比例、そして恋愛の反比例

人生は時に数学なり

人生のルール、恋愛のルール。日々私たちは各々違う方程式に従い、試行錯誤して生きている。それが正解か不正解か、問題を解いてみないと分からないのである。つまり、行動あるのみということだ。比例と反比例の軸のように、私たちの人生も軸に沿ってみると生きやすくなるのだろうか。しかし、ステレオタイプという軸に沿いすぎて生き辛くなる可能性も無きにしも非ず。その塩梅がとても難しい。

そして、私が最近強く思うこと。「後悔」と「成長」の量はいつも比例している。過去の自分の選択を後悔する時は、大抵5年や10年、時にはそれ以上の長い年月が経ってからの方が多い。私は大学時代や新卒時代に自分が下した決断で後悔していることもある。しかし、それは良くないことではなく、むしろ自分が精神的に成長したからこそ思えることなのである。知識が増え、叡智を磨き、酸いも甘いも噛み分けてきたから急に後悔しだすという現象が起きるのだ。だから、後悔すればする程自分が成長していることに気付くべきである。それは、何かしらの暗示みたいなものだ。それに気付くのが早いか遅いか、また後悔と成長の量も千差万別だろう。

それと違い、恋愛はいつだって反比例である。歳下であればある程、相手の見方が「加点方式」になり、同い歳や歳上である程、「減点方式」になるのだ。歳下であれば、その年齢なのにそんなこともできるんだと「感動」になり、同い歳や歳上であれば、その年齢なのにそんなこともできないんだと「幻滅」に繋がるのである。同じ言動1つとっても、その受け取り方は相手の年齢によって、まるで違う。それが、恋愛の反比例なのだ。

以前、マッチングアプリで出逢った8歳も歳下の20歳の大学生と健全なデートをしたことがある。彼は終電の間際に「もう少し一緒にいたいなあ」とつぶやいたのだ。彼の「それ」はとても可愛かった。そして、何よりもキュンとした。彼の意味する「それ」が男女の関係を示している可能性が高いのにも関わらず。しかし、これを同年代の男が言ったらどうだろうと想像してみたのである。一気に興醒めしたのだ。言葉を悪く言えば、気持ち悪いとすら思ってしまった。アラサーにもなって初デートでそのようなことを言うのは、浅ましさ以外の何者でもないだろう。実際に過去にマッチングアプリで会った同年代の男で、そのような類はいなくもなかった。やはり、年齢が違うだけでこんなにも受け取り方が変わるのだ。

思い通りにいかないのが人生であり、恋愛でもある。比例の直線や反比例の曲線のように方程式が変わることで、その軸が示す角度、方向も変わってくるのだ。だから自分なりの「過去+経験×後悔=成長」の方程式を編み出し、その軸に当てはめていくのが塩梅だろう。現世にも偉大な数学者でもあり哲学者、ニュートン大先生がいたら、もう少し違う世の中になっていたのかなあと思う今日この頃である。