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YAWARA!チーム(企画のスタート160)
1992年9月21日、おそらくスタッフ全員がこの作品に携わった事は良い記憶にしてもらえた、それを共有できたと思えたTVシリーズ「YAWARA!最終回を見る会」打ち上げでした。普通はそれで基本的にチーム解散、となるわけですが、この作品は少し違ってました。まず放送中から何回か行ってたのが「YAWARA!マージャン会」。これは制作会社マッドハウスの近くにある雀荘でスタッフが集まり、3、4卓を囲みみんな
もっとみる企画のスタート159(「YAWARA!」打ち上げ)
3年間高視聴率で走り続けた「YAWARA!」。最後の半年の放送全22話の内、1992年4月20日放送分から7話連続でシナリオはシリーズ構成も担当してくれた井上敏樹さんが担当。その後7話連続でずっと付き合ってくれた菅良幸さんが担当。さらにバルセロナオリンピック開催(7月25日〜8月9日)中の8月3日から7話連続で、再び井上敏樹さんが最終回まで走り抜くという、まさに怒涛の制作体制を組んで有終の美を飾
もっとみる「YAWARA!」(企画のスタート154)
1992年4月期ドラマ「悪女(わる)」の好調スタートを受け、制作の4期先輩山本和夫さんが次に取り組んでたのが、ホリプロと共同制作した1992年7月期ドラマ「ニュースなあいつ」。このドラマにボクは関わっていませんでした。というより当然であるボクの本職、「YAWARA!」の放送と、その次の作品の仕事がじわじわと襲いかかってきてました。
まず「YAWARA!」アニメ進行が原作に追いついてしまい、TV
バルセロナロケハン(企画のスタート149)
また少し時間が戻りますが、1991年10月の「YAWARA!」のスペイン・バルセロナロケハンのお話を。原作が目標とするバルセロナオリンピックの1年前に、柔道世界選手権がバルセロナで行われたのですが、それがなんとオリンピックと同じ会場だったのです。これはぜひロケハンしておかなくてはということで、アニメチームとして同行しました。
メンバーは浦沢直樹先生、小学館ビッグコミックスピリッツ編集長植田文郎
いつもそこに君がいた(企画のスタート147)
1992年4月からの「YAWARA!」最後の主題歌についてお話しします。OPは番組最初のOPテーマ「ミラクルガール」を歌ってくれた永井真理子さんの「YOU AND I」。この曲は「YAWARA!」に対しての永井さんの想いを、作品のストーリーにかぶせて作っていただいた曲です。ステキなタイトルですが、このシリーズではこのタイトルの状態まで到達できなかった感はありましたが。でも番組とともに3年間過ごし
もっとみる企画のスタート146
1992年を迎えた頃のお話です。新チャレンジドラマ「悪女(わる)」のスタート話をしてますが、その制作会社キティフィルム鈴木聡プロデューサーは「YAWARA!」も一緒に制作してるので、単純にお会いする回数が倍になってたり。いやホントよく会って会話してるので、情報交換しまくりで結局アニメもドラマもお世話になるのですが。今回はドラマ企画のスタートと並行して、放送が続いている「YAWARA!」の主題歌の
もっとみる企画のスタート142
1992年を目前にしてボクは新しいステージに移る事になります。少し前からよみうりテレビそのものを改革していく気運が高まって来ていて、アニメはもちろんですが新たなドラマもチャレンジしていこうと。この頃はドラマのネタとしてマンガ原作が有効である、という流れは1991年1月クールの「東京ラブストーリー」の大ヒットが牽引してました。
というわけで東京編成部に所属しているボクも、マンガ原作にもドラマの活
YAWARA!3年目(企画のスタート141)
1991年秋のお話をしています。9月15日祝日敬老の日午後3時放送「コボちゃんスペシャル!夢いっぱい」視聴率は良好でこれがこの後にいくつか影響を及ぼしていきます。さらに10月10日で「シティーハンター」のTVシリーズが終了。でもその作品のポテンシャルを強く感じてるし原作も多く残しているので、このまますべてが終わったんだ、という気持ちにはなれないボクがいました。とは言ってもこちらの件に関しては結果
もっとみる少女時代(企画のスタート138)
昨日お話しましたTVアニメ「YAWARA!」OPテーマ曲、原由子さん「負けるな女の子!」。この頃の楽曲の番組タイアップというのは、シンプルにお互いのビジネスプラスを求める面が強かったですね。すなわち番組側はいかに作品にアーティストパワーをいただけるか、アーティストやレコード会社側はその楽曲がヒットする確率を高める事を求める。まあお互い当然の事ではあるのですが、その番組の強さやアーティストレベルな
もっとみる負けるな女の子!(企画のスタート137)
「YAWARA!」3つ目の主題歌のお話になります。1991年春過ぎには視聴者や原作ファンみなさまの応援もあって、放送が3年目を迎える事が暗黙上の了解というか、手応えとして現実化してきました。正式には制作会社との覚書延長など、契約を結ぶ行為が先なのですが、実際のアニメ制作作業はその締結を待っていてはどうにもなりません。というわけでいろんな作業を新規及び継続していくのですが、とにかく新主題歌です。主
もっとみる企画のスタート136
原則的に時系列でお送りしてるこの日記、今回は「YAWARA!」のお話です。三葉女子短期大学女子柔道部の団体戦活躍?のおかげもあって、視聴率も絶好調。1991年10月には放送3年目を迎える事になり、その準備もいろいろしなければなりません。もちろん原作に沿った展開をいかに盛り上げていくかという、ストーリー展開に加えて各話のシナリオ作りも休む間もなく続けられていきます。
最初から全124話のシリーズ
企画のスタート131
東京は曇りがちでちょっと肌寒い感じのする文化の日。みなさまいかがお過ごしですか?
1991年春に放送中「YAWARA!」の何がすごいかって、やっぱりマイナーだった女子柔道を思い切りメジャーにしたところにあるかと。ヤワラちゃんと呼ばれた、谷亮子(旧姓田村さん)選手のように、実際に大活躍する人たちも多く出てきたこともありますが、原作の「YAWARA!」が先にあってのヤワラちゃんなのですから。彼女が
企画のスタート130
1991年になってからの「YAWARA!」のお話をしています。2本の総集編の後、1月28日放送「YAWARA! 私、柔道やめます!」から本筋がスタートしたのですが、その後が2月4日放送「富士子さんの決意」2月11日放送が「カナダからの手紙」、とサブタイトルを並べるだけで、主人公・猪熊柔を取り巻くキャラクターと本人の気持ちの動きが手に取るようにわかります。柔の無二の親友・伊東富士子の直球と、カナダ
もっとみる企画のスタート129
1991年を迎えて、1月7日月曜夜7時30分は「YAWARA! 松田の独占インタビュー」の放送で新年を迎えています。その前話は12月17日放送「死闘!テレシコワ戦‼︎」いやあ、マジに盛り上がっていました。そして年末年始の放送の休みをはさみながらも現場は大変な事になってました。なんにせよ試合になると動きも激しく、アニメーターさんやスタッフも本当に忙しい事に。評判も良く人気もあったので、逆にみんな手
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