![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/38497666/rectangle_large_type_2_04d6b93a8554005afaa0ee4a1682e98f.jpg?width=1200)
企画のスタート136
原則的に時系列でお送りしてるこの日記、今回は「YAWARA!」のお話です。三葉女子短期大学女子柔道部の団体戦活躍?のおかげもあって、視聴率も絶好調。1991年10月には放送3年目を迎える事になり、その準備もいろいろしなければなりません。もちろん原作に沿った展開をいかに盛り上げていくかという、ストーリー展開に加えて各話のシナリオ作りも休む間もなく続けられていきます。
最初から全124話のシリーズ構成を受け持ってくれてたのは脚本家の井上敏樹さん。「シティーハンター」で出会った彼はボクと同学年で、この作品では気心も知れて会話も多方面に弾み非常に活躍してくれます。さらにこの作品で当時のマッドハウス丸山正雄プロデューサーの信頼を得て、その後数多くの作品を一緒に生み出していきます。その独特なキャラクターは脚本家仲間でも有名で、その後もワインがらみも含めて何とかおつきあいしてます。
そしてそのちょっと先輩の菅良幸さん。そのシナリオライターとしての仕事は早く、手練れというか見事というか。一度吉祥寺のそのお住まいを訪問した時見てしまった、職人ライターの一面を見せつけられたようなたたずまいのお部屋は忘れられないモノがありました。
1年目を応援してくれてたのが高橋義昌さん。青森県出身、大きな身体なのに会議での発言は控えめな彼には、それでも一年目に5本書いてもらってます。その15年後若くして鬼籍に入ってしまったのは本当に残念です。そして放送2年目前後のタイミングでライターチームに加入してくれたのが当時の若きエース、川崎ヒロユキさんでした。まだお名前を川崎裕之さんとして、約一年半ちょっとの間に20話近くを執筆してくれました。
ちなみに菅さんは42わ話、井上さんは55話、執筆してくれてます。こんな事を数えたのは初めてですが、監督ときたひろこさん、キティフィルム鈴木聡プロデューサー、マッドまるさん、脚本家のみなさん、文芸設定・浦畑達彦さん、ボクというメンバーで3年間フル稼働したシナリオ会議を、今では本当に懐かしく思い出します。写真は1991年秋、NTV番宣誌にはさまれて配られた下敷きの「YAWARA!」バルセロナが出てきてますね。