アイデアノート17 普遍化欲求 マズローの欲求五段階説の先の先へ
さらに先へ~普遍化欲求による理論の陳腐化
関数証明欲求によって、多くの数学と物理学の方程式が導かれてきた。しかし、そうした科学に疎い一般人なら常に思うことだろう。そんな意味不明な学問何に役立つの?や、そんな超常的なものが身の回りを支えているのだから不思議だ、と。SF作家のアーサー・C・クラークが提唱したように、充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かないのだ。
だからこそ、優れた科学者であるほど、理論や関数で人々の生活がどう変わるかを捉えずに一生を終える。それを見るのは、経営者とエンジニアの仕事であり、それは専門外だと諦める。
実際に、理学と応用科学は別物となり、追及された理論と実践に使うことが理論には大きな年代の隔たりがある。そしてほとんどの場合、あらゆる理論は、理論を生み出したものとは別の、実用する者がいなければ生活に影響を及ぼすことがない。こうして、理論研究は大学のもので、実用化が企業のものと分けられた。この越境ができるのは、未だにごく一部である。
実用化にこぎ着けてからでさえ、技術の普遍化には時間と莫大なコストが掛かる。あまりにも遠く長いことに思えてくる。実際にそれを覆すほどのことはギフテッドにさえごくわずかにしかできていない。
ギフテッドでさえ、ある一つの学問に集中するのが限界である。アリストテレスのように、あらゆる学問に手を伸ばせたのは、科学が未発達な時代であったからで、今では物理学と数学の越境さえ厳しい。
ましてや、芸術と科学などとなれば不可能も同じと見られている。オリンピックの金メダルと、ノーベル賞とアカデミー賞を3つ同時に取る者は、どれだけ人類の歴史が進もうが現れることはなさそうだ。しかし、その価値観こそが可能性を開く鍵となる。
これらの学問の越境ができないのは何故か?これを考えた時に自ずと答えが分かるからだ。
人間の脳構造の限界だろうか?いや、単体どころか組織にさえ越境はできない。GAFAがマクドナルドや31アイスクリームを買収すれば間違いなく弱体化するだろう。それどころか、31アイスクリームとマクドナルドが合体することさえ厳しい。
つまりこれは個人の能力の問題ではない。組織にある存在目的と命題の限界なのだ。ということは、裏を返せば、存在目的が共通している限り、人はどこまでも可能性を持つことができる。
例えば、オリンピックで金メダルを取り、さらに最高の俳優であることで世界平和を訴え、ノーベル平和賞を取る。ということであればどうだろうか?これならば、不可能とは言えなくなってくる。
命題が同じであれば、越境ができるのだ。
命題が組織を制約してきた
存在目的と命題こそが人も組織をも制約し、その中で力を発揮することができる。命題の共通点を介して、人や組織は多角化と越境ができる。
そして、これはもう一つ重要なことを教えてくれる。
命題が違うからこそ人は分かり合えず、かつては戦争となった。今でも人付き合いとは別枠で捉え、関係のないものに過ぎなくなっている。ティール型の職場でさえ、夫の仕事を詳しく妻が理解していることはほとんどない。
子供が親の職場を知らずに育つ。家族という同じ存在目的では一致団結しても、職場という別の存在目的に移ると、まるで他人になってしまう。
そうして、子供は親が仕事に集中しているから別人のようなのだと思い育つ。存在目的が違うことに着目しない。
ということは、命題の共通点を見出せば、理論の普遍化もできる。職場と家庭で赤の他人にならずに済む。
そして、高次から低次の発達段階へ、理論の陳腐化ができるのだ。
生まれた時は、皆が生理的欲求から始まる。成長する上で社会を学び、より高次の発達段階へと至る。途中の段階で止まる者も多い。年を取ることで、自らの置かれた段階で固定される傾向もある。
これは、高次の組織に触れていないことを原因とする。これは、誰にでも起こりうる。一方で誰にでもより高次へと向かう可能性がある。一般人が生理的欲求に従いながら生きることも、サヴァン症候群の者が関数証明欲求を持つこともある。
そこに優劣はない。どの発達段階でも分け隔てなく暮らせるよう社会は作られてきた。エゴによって戦争や動乱、苦しみがあったからこそ高次の段階へと移ろうとしてきただけである。
だからこそ、より高次の発達段階へと移ろうとする欲求を持つティール型に、いかに若いうちに至るかが重要となる。
そのためには、自己実現、自己超越、体系、理論、関数をより低次の発達段階に扱えるよう陳腐化する必要がある。生まれて間もなくとも、分かるようにする必要があるのだ。
これこそが、一般人からは魔法と見分けがつかない理論を構築し続けてきたギフテッドと、上の発達段階に進めなかった人々の越境に繋がる。命題に共通点さえあれば、組織は越境ができる。ギフテッドでさえ超えられなかった、一つの分野でしか専門性を発揮できないという制約を克服する。
理論の陳腐化と実践が構築と同じくらい重要な要素なのだ。
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