「ミステリと言う勿れ」という題名の真意
Netflixで劇場版「ミステリと言う勿れ」(2023年公開)を観た。原作漫画は未読だが、2022年の連続ドラマ放映時に好きになった作品で、映画も見たいと思っていた。
菅田将暉は名演だし、やっぱり素晴らしい作品だったので、さらに好きになった。
好きな理由は、タイトル「ミステリと言う勿れ」に凝縮されている。なぜこの作品に魅了されるのか。
作品に絡めて、心について様々な思いが沸いたので記しておきたい。
🔸「子供は乾く前のセメントみたい」
菅田将暉が演じる主人公の久能整(くのう・ととのう)は、鋭い着眼点で数々の事件を解決していくので、ジャンル分けするなら「ミステリー」ではある。
しかし、わざわざ「と言う勿れ」と作者が名づけるぐらいなのだから、謎解きだけが見どころではないと解釈している。
私がこの作品に引き込まれるのは、久能が人に寄り添う言葉が素敵だから。
劇場版でも、以下のセリフにハッとした。
遺産相続争いのさなか、幼児に「お母さんに内緒で情報を教えて」と、スパイをさせようとする悪い大人に対し、久能がたしなめた台詞だ。
調べたところ、セメントの引用元は児童心理学者ハイム・G・ギノット(1922-1973)の言葉「子どもたちは乾く前のセメントみたいなもの、何かが落ちてくれば、必ず跡が残る」だそう。
私は数年前、自分がアダルトチルドレン(子供時代に親の機嫌を伺い過ぎて、子供らしくいさせてもらえなかった人間)であることに気づいてから、親が子供に与える影響について知識を得た。幼少期、養育者(主に両親)に跡をつけられると、大人になって生きづらさを抱える原因になる。
端的に説明することが難しいと思っていたのだが、このセリフなら一発で伝わるだろう。
また、ハイム・G・ギノットの著書には以下の言葉があり、こちらもその通りだと実感する。
私の場合、小学生の頃に父親に言われた「お前なんか死んでしまえ」という言葉が跡の1つだ。
「自分は死んでしかるべき存在なのだ。そのままでは無価値だから、辛いことも我慢してようやく人並みなのだ」と無意識下に刷り込まれ、振り返ると自分虐めをする癖があった。
苦痛な仕事を断れず(やらないと自分に価値がないから)、自らを過剰に追い詰めて身体を壊す、他人に嫌なことを言われても笑顔で受け止める、といった行為だ。
表面的には「自分は死んでしかるべき存在」などと思っていないはずだが、セメントの跡は消えないのだろう。
ジャニー氏による少年への性加害が社会問題となったが、声を上げた被害者に対し「今さら?」「売名行為だ」と言う外野の声を見かけた。外野にトラウマ被害の知識があれば、このような貧困な発想にはならないだろう。
セメントの跡は、年月を経ても簡単に元通りにならない。彼らは、その苦しみを世間に理解されたいのだ、そして自分と同じ幼い被害者を出してはならない、という強い意志を持っている。売名や金の問題ではない。
いじめ問題が取り上げられたドラマ版「ミステリと言う勿れ」に、「アメリカ(心理ケア分野で最先端の国)では、いじめている側に問題があると見る」という久能の台詞があった。
虐待も同じで、100%大人に問題があり、子供は被害者だ。
🔸心に穴を空けるのは親
人間心理に詳しいAV監督の二村ヒトシ氏は、著書「すべてはモテるためである」の中で、「心に穴に空けるのは親」と指摘している。
「心の穴」は、「セメントの跡」と同義ではないかと思う。
例えば、「親が不仲だった」「兄弟がひいきされていた」「親が忙しくて話を聞いてくれなかった」などの行為も穴を開ける。
「お父さんとお母さんが喧嘩するのは、自分が悪い子だから」「お兄ちゃんばかりひいきするのは、自分ができない子だから」「お父さんとお母さんが話を聞いてくれないのは、自分が大切ではないから」
子供はそう解釈し、自己受容感が低い大人になる。
「男は泣くな」「女はクリスマスケーキ(25過ぎると売れ残り)」といった、社会がつける跡もある。(泣く俺は弱い人間、加齢した私は無価値)
性被害や虐待など深刻な傷を負っていなくても、「なんだか生きづらい」と感じている人は、子供の頃に親や社会につけられた跡がないか、探してみると良いと思う。
大人の自分が認知を正し、癒し、少しずつ跡を修繕してあげることで、だいぶ生きやすくなるはずだ。
アダルトチルドレンは、「親のせいで自分はこんなに苦しい」とぐるぐる考えがちである。親を無理に許す必要はないが、怒りに支配され続けても何の解決にもならない。親は助けてくれないので、時にはプロの手を借りて、自分で自分を癒してあげて欲しい。(自分にも言っています。)
私の好きなロックバンドUNISON SQUARE GARDENの曲に、「夜が明けないのを誰かのせいにしてるやつは もうどっか行ってしまえ(cody beats)」という歌詞がある。とても好きな歌詞。
生きづらいことを誰かのせいにしたり、泣きついて愚痴っている暇があったら(たまには頼って良いけれど)、とっとと自分で行動するべし、といつも自分に言い聞かせている。
私がトラウマ治療を受けてみようと思ったきっかけは、トラウマ漫画の第一人者である三森みさ氏の漫画なのだが、三森氏の「行動する人は勝手に回復します」という言葉もとても励みになっている。(トラウマ治療コミュニティのスペースにて発言)
🔸弱さを認めない日本
久能が、ヒロインの女子高生に終盤で語る台詞もとても素晴らしい。
大人達の遺産相続争いに巻き込まれ、子供時代にセメントの跡が付いてしまったのに、強がっているヒロインへ向けた言葉だ。
🔹「いつだって前向き」と煽るCM
先日、栄養ドリンクのCMを見て、日本社会は今なおこんなテンションなのか、と虚しくなった。
「いつだって前向き」「疲れてなんていられない」と人気俳優が元気よく喋り、栄養ドリンクを一気に飲み干す。チーム一丸となり「ネバーギブアップ!」と叫ぶ。(俳優は悪くないよ。)
「いやいやいや疲れたらギブアップしろよ」「前向きじゃない時だってあるのが当たり前だろ、認めろよ」と、思わず前のめりで突っ込んだ。
私も若い頃は栄養ドリンクのお世話になった。でも今(アラフィフです)は、栄養ドリンクを飲む必要がない程度に自分の快適さを優先する働き方、生き方が大事だ。
リゲインのCM「24時間戦えますか」はバブルの頃だったからまあ仕方ないが、今の時代に「ネバーギブアップ」は時代錯誤も甚だしいように思う。
ポジティブが良しとされる社会は、「ネガティブな自分はダメだ」と自分を追い詰め、自己否定に繋がる。「まあ、時にはネガティブでもしょうがないよね」と思った方が健全だ。
「いつだって前向き」が理想の日本。久能が指摘する通り、「弱くて当たり前」が認められる日は果たしてくるのだろうか。
🔹「堂々と思っていい。私は最悪な気分だと。」
星野源のエッセイ本「いのちの車窓から2」に、とても心に残った言葉があった。「出口」というタイトルのエッセイより。
くも膜下出血で倒れてから「死にたい」とは冗談でも思わなくなったが、コロナ渦で久しぶりにその言葉が頭の片隅に浮かんだ、という星野源。
星野によれば、「死にたい」は雑念でしかないことが多く、「ここから抜け出したい」「もっと良い環境にしたい」など、現状を変えたいと願う心が、変えることのできていない現実と向き合う中で衝突して、短絡的に「死にたい」と言う言葉に行き着く、と。
「でも、そんなのしょうがないと思う。」と言い切っている。
自分も切羽詰まって出口が見えなくなったことがあるので、心底共感する文章だ。
日本人が大好きな「無理してでもポジティブ!」にならなくとも、"出口"をなくさないために思っていいのだ。
「堂々と思っていい。私は最悪な気分だと。」
そして、気分を良くするための諸々を自分に許可すること。
あー、なんか消えたいような雑念があるな、でも出口は絶対にあるし、とりあえずパンケーキ食べちゃおうっと!
生真面目に生きざるを得なかった人(私)も、これぐらいのノリになって良いのだ。
「自分が生きてさえいればいい。」
なかなかそう思えないからこそ、そう強く思っているという星野。私もそんな心持ちで生きたい。(以前は到底思えなかった。)
なお、シリアスなエッセイに加え、他では恐らく披露されていない奥さんとの素敵なエピソードを記したエッセイも収録されており、ほっこりした気持ちになるのでファンではない方にもおススメ。
星野源と新垣結衣、淡々と記される夫婦の会話の中に、2人の波長が合う理由が読み取れる内容だ。文体はのろけテイストじゃないのに、「結局のろけかよ!」と思ったエッセイもあった。ふふふ。
「希死念慮」についても語っている参考インタビュー。
🔸戦争のつめ跡
アダルトチルドレンは「世代間連鎖(心理用語)」する。苦しい生き方や考え方が、習慣として先祖代々引き継がれてしまうということだ。
その大きな原因の1つに「戦争」があると言われている。死の危険を経験した世代には、「自己犠牲」や「絶対服従」が染みついているから。それが正しいと思い込み、子供にもそれを強制する仕組み。
日本人は勤勉さを褒められるが、理由のひとつは敗戦国だからだ。
私の祖父母も戦争体験世代である。幼い父をおんぶして空襲から逃げた、もうダメだと思ったことがあった、と亡き祖母から聞いたことがある。
父は厳しく育てられ、祖母の指定する職業に就き(本人は嫌だった)、仕事が原因で鬱病になり首を吊った。
父が私に「お前なんか死んでしまえ」と言ったのは、「俺は親の言うことに(嫌々ながらも)従ったのに、なぜお前は俺の思い通りにならないんだ!服従しろ!」という怒りが込められているのだなぁ、と大人になって気づいた。子供の頃は、なぜ死ねと言われたのか全くわからなかった。
戦争のせいでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負った国民がたくさんいるはずだが、政府はそこまでケアできなかった。
太平洋戦争で心に傷を負った元兵士の実態について、国が調査に乗り出すことが決まったそうである。2024年3月の記事。
えっ?今???
太平洋戦争っていつでしたっけ…???
それだけ日本では心のケアについて理解が遅れているのだろう。
参考記事:
◆元日本兵の「心の傷」国が初の調査へ 家族らは全体像の究明求める
太平洋戦争で心に傷を負った元兵士の実態について、国が調査に乗り出すことが決まった。戦傷病者の援護の一環として国が開設した「しょうけい館」の運営有識者会議が13日に開かれ、精神疾患に苦しんだ戦傷病者についての資料などを集める方針が了承された。国による調査は初めて。
◆50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷”
先の大戦中、戦場でのストレスなどが原因で精神疾患を発症した兵士たちがいました。しかし、その存在は「皇軍の恥」とされ、ひた隠しにされてきました。
ことし、兵士たちを追跡調査したおよそ60年前の極秘資料が、NHKの取材班にはじめて開示されました。800ページにわたる資料には、壮絶な戦場での体験から戦後も病に苦しみ、誰にも理解されず孤独を抱えて生きた兵士たちの姿が記録されていました。
◆傷ついた兵士は、なぜ我が子を殴るのか トラウマ学の第一人者に聞く
戦争で心に傷を負った兵士が、帰国後に自分の子どもに暴力を振るい、幼い心を傷つける――。暴力の連鎖は、戦争トラウマ問題の核心です。なぜ、トラウマは世代を超えて伝わってしまうのか。
🔸「ミステリと言う勿れ」という題名の真意
原作者の田村由美氏は、インタビューで「事件解決のみを目的にするのではなく、整が何を見て何を考え話すのかが大事だと思っています」と語っている。
私は、ミステリーと言う側面以上に、人間の心や人生において大切で考えるべきことがあるよね、そこを描いているから見てね、という思いが込められているのだろうと解釈している。
久能整のキャラクター、思考、台詞がそれを物語っているから。
だから「ミステリと言う勿れ」。
なんと秀逸なタイトルなんでしょう!