10月

写真と文章

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56. 言語の話

 仕事で中国語を話すと、相手から「あなたは何人ですか?」としばしば訝しがられる。「さっきの人はどっちなの?」と、私が離席してからわざわざ同僚に質問してくれた人もいた。日本人の名前で同僚と日本語を話し、日本人にしては流暢な発音で、やや語彙の足りない中国語を早口で話すからだろう。自分の意識としては「どちら」でもない。夢は日本語で見るし、九九は中国語。「反日」にも「反中」にも辟易する。食べ物は韓国料理が一番好き。  「言語が我々の考えを形成する」。文系学生ならきっと一度は聞いたこ

    • 150. 一万日

       一万日を迎えた。心も体もさほど上等ではないため、実のところ次の一万日を健やかに迎えられる自信があまりない。ここがおおよそ折り返し地点だと思うことにしている。早死にも長生きもしたくない。いつだって誰だって概ねそうだと思う。  小学生くらいの頃からだろうか、妙な癖がついた。数ヶ月前、あるいは数年前の自分が急にすとんと空から降ってきて、今現在の自分を押し出してこの体に入り込む想像をする。どんなだろう。喜ぶだろうか、悔しがるだろうか。なぁんだ、そんなものか、と失望するだろうか。こ

      • 149. 南へ(4)

         前回の続き。うなりざき公園もまた曇り空の下だった。漢字で書くと宇那利崎らしい。西陽の沈むところが見られるらしかったが、旅先で夕日を見るのはあまり得意ではなかったので海と崖を静かに眺めた。本島の気持ち大きめの公園と同じように遊具があり、犬を連れている人がいた。自転車で来ているのは自分くらいだった。いわゆる絶景スポットも、暮らす人にとっては日常の一部として機能する。  この場所について思い出すことは、とかく静かだったこと。風の音と、遥か下方で波が砕ける音。自ずと自転車から降りた

        • 148. 南へ(3)

           前回の続き。実はこの次の旅から既に帰って来ていて、なんならそこから既に1ヶ月以上経っている。  正直なところ、書くかどうか相当に迷った。旅行自体は間違いなく良いものだったが、ここ数日で10年分の写真データを整理して辟易してしまっていた。果たしてこれ(記録を残す作業には意味がある、そうでない方)を続ける意味が本当にあるのか、なぜ意味を求めないと続けられないものを続けようとしているのか、完全に分からなくなって混乱していた。  東京に寄るついでに声をかけてくれた友人と食事をして互

        • 固定された記事

        56. 言語の話

          147. 南へ(2)

           あれよあれよという間に外は灼熱の世界となり、外出が困難を極めるようになってしまった。早寝早起きし、玄米を炊き、お味噌汁や麻婆茄子、ゴーヤーチャンプルーなどを作って一人で全てを平らげる。おやつにはスイカもしくは桃。あかつきよりも硬い、おどろきという品種の桃を農家さんに頼み、晩夏に届くのを心待ちにしている。夏の終わりまでは頑張りたい。才覚の代わりに食い意地だけがある太宰治になった。買ってから1年間インテリアとして熟成させた電子ピアノを弾いたり、筋トレをしたり、仕事の本を読んだり

          147. 南へ(2)

          146. 南へ(1)

           気付けば27になっていた。生まれて1万日が目前だ。ダイアナウィンジョーンズの世界だと奇怪な呪いをかけられるんだっけ?つつがなく暮らしております。日が長くなって俄かに元気を取り戻し、マルセイバターサンドと平均律クラヴィーア曲集にハマり(第2巻第4番嬰ハ短調のやつがイチ押し)、旧友と15年ぶりに会う約束を取り付けた。特に思想に変化がないので、売りつける壺がない。比較的旧ではない友には、noteを更新していないことがバレている。最近の遠出の話をさせてもらう。  北野武のソナチネ

          146. 南へ(1)

          145. 売りものみたいな恋をした

           『花束みたいな恋をした』を観た時、正直に言って、私は自分や大学の友人たちは随分と幸福だったんだ、と思った。例に違わず追い立てられるように大人になり、趣味嗜好の完全な一致(そもそもそんなものがあるとも思えないが)を運命と思うには素直さを失い、しかし、「変わっているね」と言われて喜ぶほどには自信に欠けていなかった。  夏休みに花火、水族館、夏祭り、BBQ、海、山、と予定をこなしていたことがあった。文字通り「こなして」いた。これではまるでスタンプラリーだ、と思い3年目にはやめた。

          145. 売りものみたいな恋をした

          144. 血より濃い

           「友情とは二つの体に宿れる一つの魂である」とアリストテレスは言ったそうだが、私は逆だと思う。それぞれの体に宿る二つの魂なんじゃないかと。    久々に会った友人と『駈込み訴え』の話をしながら、「クソデカ感情」は良いよねぇ、と言い合った。性愛にも血縁にも由らない人と人との強い結びつき。時々揺らぐ、だけどめっちゃ強いやつ。2次創作でBLやらGLやらに仕立て上げられてしまうと違うだろ、という気持ちになってしまう。何てことするんだッ、と頭を抱えたくなる。現実の人間関係ではなかなかお

          144. 血より濃い

          143. 文句しか言わない

           百均のサボテンが、夜中にひっそりと花を咲かせてくれた。キンセイマルという品種。上京した年の初夏あたりに買ったので、3年半ほど世話をしていたことになる。一番好きな季節の、心穏やかな休日の夜に一日で萎む真白い花を眺めることができて幸運だった。自分の手でどうにかできることの成果。何という心地良さ。  ムーミンの原作コミックスを読んでいて、ムーミンの母親が「悲しい時には掃除をする」と言っていた場面を時々思い出す。めちゃくちゃ共感する。悲しい時、虚しい時には家事をする。掃除をして、

          143. 文句しか言わない

          142. 軋轢の多い家

           「『注文の多い料理店』のあの二人みたいに、一度くしゃくしゃになった紙は戻らない。私たちもそんな感じ。もう元の通りには絶対に戻らない。あの男とはもうまともに接することはできないから」  実家で宮沢賢治の引用を聞くとは思わなかった。たまげたなぁ。  あとで調べてみたら、たしかにそんな一節がある。  もう自分が両親を「お湯に」入れても、美味しいものを食べさせても、遊びに連れ出したりしても、マジで元には戻らないらしい。それはそれで荷が降りるような思いも、するわけあるか。  二人

          142. 軋轢の多い家

          141. 物語は終わる、生活は続く

           今年もつつがなく10月を迎えることができて本当にうれしく思う。日本にはもう二季しかないような気配もするが、やはり10月は幸福な季節。特に何かあるわけではない。ただ金木犀が香り、梨や葡萄が熟し、親しい友人が誕生日を迎え、ビートルズの歌が、この風の中ではとびきり伸びやかに響く気がする。  生活は続く。何巡も、何巡も、幸も不幸も、それはそれとして見送っていく他ない。間違いなく生活は続く。もし生活は続く、が下の句だとすれば上の句はきっと「物語は終わる」だろう。  フィクションの

          141. 物語は終わる、生活は続く

          140. スープになる覚悟はあるか

           「子どもを置いてはなかなか遊びに行けない。だから子どもがいる同士で遊びに行く。そうするとどうしても子ども中心になる。それで独身の友達は誘いづらくて、そのうち疎遠になるんだよね」  上司の言葉を聞いて、先輩と私はウワワーと慌てた。まあ慌てたところでどうしようもない。本質は「家庭を持てるかどうか」ではない。  家庭を持ったところでバスタブで一人、ドロドロのスープになる人はなるだろう。結婚しなくても一人暮らしでも、スープにならない人はならない。馬鹿げた話かもしれないが、この2種類

          140. スープになる覚悟はあるか

          139. 衝撃に備える姿勢

           安全のしおりを熟読する。ホームの端を歩かない。スクランブル交差点は最短距離を小走りで。夜道はイヤホンを外して。密封の確認できない飲食物には手をつけない。2回右折しても着いてきたら110番。非常口はそことあそこ。スカートではなくパンツスーツで。ハイヒールではなく革靴かスニーカーで。いつでもすぐ走れるように。逃げられるように。  いつも死に筋を考える。電車の吊り革に破傷風になる黴菌はどのくらい?何だってまるで意味はない。意味がないことを知りながら死に筋を避けることに意味がある。

          139. 衝撃に備える姿勢

          138. 北の方へ(4)

          前回の続き。今回の旅の主目的、白神山地です。  人生に疲れた社畜OLが一人で白神山地に行ってきた!などと銘打って書けばいいのだろうが、そんなのは日々のキンロウと自然へのボウトクなので、正直にいきましょう。タグ付けによって摩耗するものを考えないことの危うさ。最近はそればかり考えてしまう。  以前、仕事関係の本で資料のまとめ方見せ方云々を説明したものを読んだ。各観光地への期待の高さと、実際に訪れた時の満足度の高さの関係をどう見せるかという一節。白神山地が双方ともに高く、総合点が

          138. 北の方へ(4)

          137. 北の方へ(3)

           怒涛の12連勤のため、ついに更新を途絶えさせてしまった。誠に無念。しぶとく生きております。  前回の続き。  旅先では早寝早起きに限る。というわけで開店 早々、のっけ丼に押しかけ「私の考える最強の海鮮丼」を作ることにした。2000円分の食券を買って、ご飯をもらい、色んなお店から海鮮丼のパーツを買い集めて乗せまくり、オリジナルの海鮮丼を作るというシステムである。人間様の欲を大変よく理解されている。好きなものだけをもりもり食べたいもんね。鯛、デカい甘えび、ほたて、甲いか、たこ

          137. 北の方へ(3)

          136. 北の方へ(2)

           先週の続き。人のはけた頃合いを見計らって大きなおばさんの手に浮き上がる精緻な血管を観察したり、オノヨーコの念願の木にカラスが止まって林檎をつつくのを眺めたりした。動物たちに忖度はない。 栗林隆の『ザンプラント』はこの季節に心地良い作品だった。忖度のある方のアザラシと見つめ合う。お盆の少し前だったため、後ろからせっつかれることもなく、湿地帯を堪能することができた。  レアンドロの作品は離れで展示されていた。21世紀美術館のあのプール同様、単身者の撮影ハードルはやや高い。一

          136. 北の方へ(2)