149. 南へ(4)
前回の続き。うなりざき公園もまた曇り空の下だった。漢字で書くと宇那利崎らしい。西陽の沈むところが見られるらしかったが、旅先で夕日を見るのはあまり得意ではなかったので海と崖を静かに眺めた。本島の気持ち大きめの公園と同じように遊具があり、犬を連れている人がいた。自転車で来ているのは自分くらいだった。いわゆる絶景スポットも、暮らす人にとっては日常の一部として機能する。
この場所について思い出すことは、とかく静かだったこと。風の音と、遥か下方で波が砕ける音。自ずと自転車から降りた足音も小さくなる。この瞬間がたまらなく好き。旅先で、ほぼ人のいない目的地に降り立って草地の上を歩いていく感触。好きなタイミングでリプレイしたい。大事なプレゼンをしにスクリーンの前に出る時なんかに。
展望台に登ると、折よく雲間から光が差し始めた。天使の梯子ってこれのことか。ぽっと出の楽園みたいに、光を受けた海面が丸く輝き出す。あの境界線を背びれでなぞれたらさぞかし楽しいだろう。天使の翼もひれもないため、欄干の上で望遠レンズをジリジリ伸ばす。何も信じていなくとも、ありがたい光景だった。
帰りも無人販売所でアイスをいただいた。今度はピーチパイン味。時々立ち止まっては牛や山羊を眺め、幸運なことにまたカンムリワシに出会うことができた。雨後の動物たちは動きがゆったりとしていた。肉をとられる家畜がいるということはおそらく、島内のどこかで彼らを屠る場所があるのだろう。「生活」を押し隠さない観光のことを少しだけ考える。
夕食時に、昨日も話したご婦人から「イダの浜に行ったでしょう」と声をかけてもらった。釣りのついでに行ったらしい。なるほど住民が少ないとこんな感じか。こりゃ下手なことはできないな。へえ、あの美味しい魚は南洋チヌ。ああ今日はあの後うなりざきへ行ったんです。そう自転車で。…またしても奇行めいた長距離移動が発覚し、元気ねえ、と驚かれる。
元気なので夜も散歩に出た。暗いことは想定内だったが、懐中電灯でも太刀打ちできないことは想定外だった。墨を流したどころではない。幾重にも重ねた暗幕の中だった。道の続く方向へ、日中の記憶を辿りながらつま先を向けるような具合である。この島にはそもそも信号機が2つしかないらしかった。車など夜に通ろうはずもないので、そろりそろりと主要な道路の方へ進む。思い出したかのように鳴る葉ずれの音、名前の分からない虫の声、フクロウと思しき低い鳴き声。頭上で何かが飛び立つ音がして、自分も少し飛び上がった。向こうの方が驚いたかもしれないが。かなり純粋な、本能から来る恐怖を覚え、興奮した。火を扱うすべを覚えた毛深い先祖たちに感謝せざるを得ない。そして夜目の効かないヒトは、夜眠った方が良いことを思い出した。(続く)