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147. 南へ(2)

 あれよあれよという間に外は灼熱の世界となり、外出が困難を極めるようになってしまった。早寝早起きし、玄米を炊き、お味噌汁や麻婆茄子、ゴーヤーチャンプルーなどを作って一人で全てを平らげる。おやつにはスイカもしくは桃。あかつきよりも硬い、おどろきという品種の桃を農家さんに頼み、晩夏に届くのを心待ちにしている。夏の終わりまでは頑張りたい。才覚の代わりに食い意地だけがある太宰治になった。買ってから1年間インテリアとして熟成させた電子ピアノを弾いたり、筋トレをしたり、仕事の本を読んだりする。学生の夏休みみたいだが、立派なアラサーである。入眠前にはこれまた1年間熟成させた遠野物語を読む。禍話なんかで読んだことのある展開だな…などと馬鹿げた感想を抱くが、文体から距離を感じ、程よく眠気を誘ってくれるので重宝している。國男せんせい、寝る前のお話して。

 などとボンヤリ過ごしていたら、もうじき次の旅に出る段顔になっており、旅行記の中では1ヶ月近くも行きの高速船に乗りっぱなしになっていた。前回の続き。
 船底が浮きまくるほどの大波に翻弄されること1時間、ようやく西表島に到着。ユネスコ自然遺産の登録を示す看板が出迎える。沖縄列島で2番目に大きな島は周囲130km、その面積の9割は森林、かつ大部分が国有林。絶滅が危ぶまれているねこちゃんは現在およそ100頭。ふむふむ。日本のマングローブはほとんどここに集約されているとな。湿度が半端ない。
 年度始めで流石に観光客も多くなく、ツアーのガイドと思しきにいちゃんねえちゃんが数人迎えに立っていた。スーツケースを引きずって宿へ。

 今回の旅では自然と距離の近い形で過ごし、運動をする、というざっくりとした目標を設けていたため、宿探しの条件として「見たいものがあるスポットへの距離が遠くない」「食事がある程度用意されている(飲食店探しに時間を使わなくて良い)」「レンタサイクルを利用できる」ことなどがあった。上原港から数分歩いた距離にある、プライベートビーチに面した小さな民宿にお世話になることになった。

庭のハンモックが最高に心地良さそう。
あっという間に蚊に刺され、手足がボコボコに腫れてしまう質なので今回は断念。
既に夏のコントラスト
ぽつんとヤシの実
本当に誰もいない

 海辺にはビーチボールの代わりにヤシの実が転がっている。調べてみるとヤシガニも繁殖期に近い7-8月には夜に見られるらしい。絶滅危惧種II。またの機会にお目にかかりたい。

 クーラーのついたこぢんまりとした和室からはかすかに波の音が聞こえる。ひとり旅で好きな瞬間だ。ほの暗い屋内に差し込む初夏の光と、生き物と波の立てる音。い草の香りと昼過ぎの眠気。しばし涼み、冷たい麦茶をいただいた後、装備を整え、自転車を借りに行く。15時頃出発。18時半頃戻って夕食をとります。はあい。宿のお姉さんたちが優しい。夏休みの概念だ。

 ガソリンスタンドでママチャリを拝借し、道向かいのスーパーで調達した2Lペットボトルをカゴに入れてキコキコ走る。全周130kmあるので今回は島の東〜北だけ回れればいいか〜などと呑気に構えていたが、とにかく暑い。起伏が多い。電動自転車も考えたが、残念ながらこちらはどうやら大原港近辺でしか借りられなかったようだ。もともと人口が少ないこともあるが、道中は人っ子一人見かけなかった。あっという間に汗だくになりながらひたすらペダルを漕ぐ。おそらくほとんどの観光客はレンタカーを使っているため、原付にも出会わない。静かだ。撥ねられる心配もないが、行き倒れたらなかなか見つけてもらえないだろうな。幸い日照はほぼなかったが、気温は30度近かった。

微笑ましい音が鳴るママチャリ


 初日の目標は大見謝ロードパーク。とりあえずマングローブを眺めたいという欲求は、道中の船浦湾で一旦は満たされた。白浜南風見線がまっすぐに伸び、左手には海、右手にはジャングルとマンブローブ林が広がる。ジャングルの上方は湿度が高いせいか煙っている。濃い緑と靄の白、透き通ったマリンブルーと、濁った川の鈍色。スケールが大きい。温帯ではなかなかお目にかかれないであろう景色が広がる。望遠レンズのお出ましである。マングローブは意外と大きく育つなあなどと感心する。田中一村の描いた絵の通りのアダンの木を撫でてみる。実が凶悪な硬さをしているが、カラスやヤシガニはこれを食べるらしい。たくましいね。

見通しの良い白浜南風見線
曇り空も相まってますます田中一村
船浦湾
高い方はマングローブじゃないのかも
海を見つめている
湿度
仄暗くてゾワッとくるものがある。良い◎


 海の彼方を見つめるねこちゃんの銅像があったので記念撮影をし、またひらすら走る。噂に聞く飛び出し注意の看板も微妙に文言やデザインが異なっていて見ていて楽しい。飛び出してはくれなかったが。

子ネコ、見たかった


 それ以外は割合単調な道が続き、海の見える箇所以外は息苦しさを覚えるほどだった。アスファルトの熱と草いきれ、自分の息遣い、早々にやってくる脚の痛み。観光した上で往復約20kmを走りきって夕食までに戻れるのか…?という不安が頭をもたげる。誰もおらず、引き返すにも遠くなってしまったため観念してペダルを押し下げることに集中する。こんなところでトロッコの追体験みたいなことをするとは。
 這々の体でたどり着いた大見謝ロードパークもやはり無人だった。木道をなんとなく足音を消して歩く。間近に膝根が見える。天気のせいもあって黒々としている。不気味なところがあるな…などと思ったが、もしかしなくとも『女神の継承』の影響である。植物は美しいです。透明度が高いからハゼなんかも見られないかな、と期待したが、ハゼたちはおそらくもう少し塩分濃度の低いところにいる。塩分を貯めて黄色くなって落ちた葉が静かに水面を漂っている。黒い岩場を歩いて海面のすぐ近くまで来てみたが、かなり多くのゴミが散乱しており、人間の忌まわしき所業を見るばかりだった。品の良い観光を心がけましょう。本来的に観光は搾取にかなり近い消費であるから、せめて立つ鳥跡を濁さないようにしたい。

目を凝らしてみたが、生き物はほぼ見つけられず
無人の岩場

 道中にクーラ洞窟があり、あわよくばこちらにも寄りたかったが、一人で日の暮れかかった洞窟にたどり着ける自信がないこと、雨後で洞窟内の状況が読めないこと、ヘッドライトを持っていないことなどにより、諦める他なかった。後から入った人のコメントを読むと、真っ暗で股下まで水に浸かる箇所もあるらしく、この判断は正解だったっぽい。洞窟に単独・軽装で入ってはいけません。

 折良く18時過ぎに宿に戻ることができ、汗だくの体を拭き、人間の形をして夕食の席に着くことができた。夕食は雑穀ご飯と優しい味の麻婆豆腐、お刺身に揚げた白身(お魚の名前を教えてもらったが失念)、小鉢、お味噌汁、オレンジにピーチパインがついて至れり尽くせりだった。ピーチパインは果肉が白く、ほとんど酸味のない小ぶりなパイナップルで、これが本当に美味しい。魚は宿のご主人が釣ってきたらしいもの。もりもり食べて他の宿泊客の皆さんと軽く挨拶し、個室に引き上げた。

美味しい記憶



 19時を過ぎてもまだぼんやり明るい。波打際でマジックアワーを堪能する。膝を抱えて漂流物と並んで砂浜に鎮座する。決まって音楽は聴かない。波の音はいつも眠気と不安と、懐かしさを連れてくる。戻りたい地点がどこなのかさっぱり見当がつかなくても、やはり懐かしさを否応に押し付ける。分厚い雲の向こうで日が沈んだ気配だけがあった。
 裏庭からはカエルの鳴き声と、ひときわ大きく響く、音階を下げていくような鳥の声。リュウキュウアカショウビンの声らしい。見た目も声も威勢が良い。旅を通してついぞ肉眼では姿を確認できなかったが、日暮れには決まってその声を聞いた。暗闇の奥から名前の知らない生き物たちの立てる様々な音が濃密な気配になって雨戸から染み出してくる。彼らはよそ者に干渉しない。こちらも割り当てられたスペースで静かに丸くなる。
 全ての疲れとまとわりつく湿気を引きずって、早々に眠った。

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