148. 南へ(3)
前回の続き。実はこの次の旅から既に帰って来ていて、なんならそこから既に1ヶ月以上経っている。
正直なところ、書くかどうか相当に迷った。旅行自体は間違いなく良いものだったが、ここ数日で10年分の写真データを整理して辟易してしまっていた。果たしてこれ(記録を残す作業には意味がある、そうでない方)を続ける意味が本当にあるのか、なぜ意味を求めないと続けられないものを続けようとしているのか、完全に分からなくなって混乱していた。
東京に寄るついでに声をかけてくれた友人と食事をして互いの考えていることを話し、喫茶店で水分補給を挟みつつ蚊に食われながら暗い中、谷中の近辺を5時間ほど歩いた。誇張なしに退勤後に5時間歩いた。前述のことを情けなくも半笑いで話したら、「なんでそんなになるまで放っておいたんですか?!」とのツッコミが返ってきてぐうの音も出ない。ただ、この時ばかりは楽しかった。本当に近いうちに言語化して、どうにかけりをつけないといけないらしかった。
時は遡り、4月初旬。西表島に着いて初日から本気のサイクリングで全身を痛めつけ薄い布団で眠っていた。旅行は朝目を覚ました時がまた楽しい。どこにいるのか本当に分からなくなる。聞き慣れたアラームに、い草の匂いが戸惑いを連れてくる。東京からはるか南方の島の片隅に、意識が連れ戻される。
シンプルで美味しい朝ごはんに、青いバナナがついてくる。船に乗せられて来日する前の状態だ…と思っていたらもう熟して食べられるから、とすすめられた。本当に甘くてもっちりしている。島バナナすごい。後に宿の裏庭で採れたものだと知る。朝食を共にしているお姉さんたちと互いの旅行プランを話す。大見謝ロードパークまで自転車で行くのは相当な物好きらしかった。知り合いに会いに来ている常連さんと、「旦那さんと子供を置いて」一人で釣りに来ているお姉さん。前腕ほどもある鯛なども釣れるらしかった。かっこいい。娘が前来た時に、こぶし大の宝貝を拾ってね、それからスイジガイも、と聞いてにわかに興奮してしまった。マジですか? 海で拾うものが好きでたまらない。石も流木も、骨もガラスも陶片も。淡い色合いで小さく素敵で、生臭く死の気配を放つものたち。南で過ごすことのなかった自分には、親指サイズの宝貝だって滅多にお目にはかかれない。計画を少し変更して、朝は宿の裏手でしばしビーチコーミングをすることにした。
相変わらずドン曇りで誰もいない。真っ黒い水着で小雨のパラつく中一人で砂浜をひたすら物色する。相当に怪しかっただろうが、ここなら声をかけられる心配もなかった。波が高い。暑くも寒くもないことが救いだった。急に深くなる箇所がないか気をつけながら、時折泳ぎながら小さな入江を渡っていった。この時はまだ知らなかったが、拾った貝たちはベニタケ、ヌリツヤアマガイ、ヨツメダカラ、オオミノムシ、ウロミナシというらしかった。テリハボクの種子も確かここで拾った。楽しい。こんなところでうっかりイモガイなんかに刺されたら多分死ぬよな。楽しい。今どの辺りまで来たんだっけ、貴重品隠して来たけど波にさらわれてないかな。楽しい。あと何分で潮が満ちてくるんだっけ。後ろ髪を引かれながら慌てて砂浜を走って戻った。2時間以上泳いだり走ったりしていたらしい。気がかりな夢みたいだった。無論走ったらすいすい進んだが。シャワーを浴びて着替え、昼食のおにぎりを調達して白浜港に急ぐ。ガチ・サイクリング再び。
本日のお目あてはイダの浜。船でしか行けない奥西表地区の、いわゆる秘境ビーチ。西にあり、日の入りから西田(いりだ)の浜、イダの浜、というらしかった。宿のある上原港近辺から島の北、うなりざきをぐるっと回って浦内川を渡り、白浜港からフェリーに乗る格好である。(前回の記事で浦内川と書いたのは船浦湾だった。既に記憶があいまい)帰りにうなりざき展望台にも寄るため、またしても往復30kmの行程である。昨日と大きくは変わらない島内道路をママチャリでひたすらに走る。ありがたいことに、所々無人販売所がある。サラダに使う青パパイヤや採れたての野菜。それに待望のアイスクリーム。同行者がいればピーチパインも買ったが、流石に一人では持て余すのでアイスをいただく。1本150円。ピーチパイン味とピンクグァバ味。お代は椰子の殻に入れる。すだれの下でショリショリ食べるアイスは格別。小銭持って来て良かった。全身の痛みを別にすれば、プールに向かう夏休みの小学生と変わらない。
道中の牧場で牛を眺め、浦内川展望台に登っては羽虫に追われ、星立(天然保護区域)ののどかさに、つい長居したくなった。シロハラクイナが民家の庭を歩き回り、カメラを構えた自分に気づくとダチョウを思わせるすばやさで走り去った。子午線モニュメントは123°45'6,789''を示している。夜には別のモニュメントに向けてレーザー光が照射されるらしい。地球って本当に丸いのか?
長いトンネルを抜けるとそこも南国だった。港の待合でおにぎりを食べ(やはり誰もいない)、車で来たらしい数組の親子連れと一緒に乗船。10分ほど高速船に乗る。今度はさほど揺れなかった。船着場に降り立った瞬間に土砂降りの雨。お、やるじゃん。イダの浜までは山道を少し歩く必要がある。マリンシューズに履き替え、折り畳み傘を差してざぶざぶ歩く。これから濡れに行くのだから、構っていられない。イダの浜に着く頃にはありがたいことに雨が止んだ。
トイレもシャワーも観光施設もない、静かな浜。名前の響きからどうしても銀貨を握りしめた裏切り者を想像する。海は曇り空の下で、エメラルドグリーンというよりはトルコブルーに近い色を呈していた。上から順に雨雲のねずみ色、鬱蒼とした黒、トルコブルーに砂浜の白、思い思いに走り回る子供たちの水着の原色。自分の他に観光客がいて良かった、としみじみ思う。欧米系のカップルが手を繋いではしゃぎ、元気よく泳ぐのを眺める。手のひら大の宝貝もスイジガイも、ついには見つけられなかった。泳ぎ疲れてラップタオルでてるてる坊主のようになりながら浜に座って大人や子供を眺め、ダイビング講習をしているらしいガイドのシュノーケルを目で追い、ヤドカリを追い回したりした。この時間が点描の一つの点として、奇妙な色を残しながら自分の一生を構成していく様を想像した。陸路のないトルコブルーは、他の点から少し切り離されて、ポツンと染み出した。
帰りにまたスコール?に降られたこともあり、拾った貝たちを握って船着場に走って戻ることになった。大きなガジュマルの木が道の真ん中にそびえている。大きな木を絞め殺して残ったのか、あるいは普通の木を絞め殺して大きく育ったのか判別できない。いつも、ものを知らなすぎるのかもしれない。
帰りは基本的に同じ道を辿りつつ、気になったポイントに寄った。有形文化財の新盛家住宅。明治の初め頃に作られ、築年数は150年を超える県内最古の木造住宅らしかった。釘や金具を使われず楔で固定されている。同じ木造建築でも隈研吾と違って立派に残るもんだなと、素人なりに感心する。電灯や換気扇なども取り付けられ、掃除の際には作動させることができるらしかった。初夏の光を切り離して静まりかえった屋内は、黒々としていながら不気味さは感じられなかった。開口部が随分と広く、台風の時はどうしているのだろうと案じずにはいられなかった。
うなりざき展望台へとひた走る。頭上からピェーーーというような甲高い鳴き声がして見上げると、カンムリワシが電柱に止まっていた。後に聞くと、普段はやや低い場所で待ち伏せ型の狩をし、雨後は羽を乾かしにこうして見晴らしの良い所に出てくるらしかった。はやぶさほどの大きさで、お腹に白い斑点が散っている。幼鳥は白い羽が美しく、あやぱにと呼ばれる。よく人間に轢き殺される。帰るまでに2,3羽ほど見かけ、望遠レンズでじっくり眺めることができた。凛々しくてかっこいい。本当に、こんな美しい生き物のいる島であまり車をとばすものではない。(続く)