いつの日か遺書になる 生きている間は日記、去った後は遺書になる 苦しい感情を自分語りと…

いつの日か遺書になる 生きている間は日記、去った後は遺書になる 苦しい感情を自分語りという名の殴り書きで残す場所 「叶逝(かのい)」と名乗っています 病んだ記録がここに

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「わたし」

自己紹介欄は文字数制限があって、自分語りが得意なわたしには少し物足りなかったので、ここで自分について話します。 ・基本プロフィール 旧成人済みの女性 新社会人事務職として会社へ入社→メンタル壊れたため現在は無職 認めたくないけれど心の居場所をずっと求めている 希死念慮に取り憑かれていて、毎日が地獄 自己肯定感がない 外出が苦手 叶逝というペンネームは、文字の通りいつか逝くことが叶うように願って。 ・「わたし」 わたしは、「普通」では無いと思う。 「変」と言われたことが何度

    • 記憶

      忘れるということは すべて忘れたいと思うことがある つらいから この人生の全てをなかったことにしたい この人生の全てを記憶から消してしまいたい と もし消えたら、今までの辛かったこと苦しかったこと全てが忘れられる と同時に、楽しかったことも忘れる きっと、楽しかったことだけを残して他を忘れるなんて都合のいいことはないのだろう 楽しい記憶を犠牲にしてでも、忘れたいと思うことは多い。 助けてほしい 全てを忘れたいと思わない程度までの精神状態になれるように でも誰も知らない

      • きじょうのくうろん

        すべてが机上の空論と化してしまう こうなればいい こうなればうまくいく とりあえずこうなればわたしはこう動ける とか でもやってくる幸運は求めている時には来ないもの わかっていてもこうなってこうなれば、と考えてしまう 止まらないこれが どうしたらいい? 空想と妄想が募り不可能と知り幻滅する こればかり 自分の力もろくにないから余計にできないことを痛感する 無能

        • 人との関係

          過去振り返ってみても、今年は一番繋がりを切った数が多い年だった。 退職。 過去の友人との縁。 SNSでの縁。 退職すれば多くの人との関わりが消える。これは逃げることが出来て良かっただろう。 過去の友人との縁。これは正解かどうかわからない。今となっては切れていて、学生が終わると会うこともほとんどなかった。今のところ関わっていた時に嫌だなと思っていた人ばかりを切っているけれど、今後どうなるか自分でもわからない。 SNS。所詮ネットで、簡単に縁が切れてしまう。 少しでも合わな

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        「わたし」

          人は残酷

          趣味というのは時にキョウキとなる。 楽しければ狂喜となり 独り占めしたくなると凶器になる 熱がこもりすぎて狂気じみることもある 推し活なんてものは、特に残酷だと思った。 推し活をする人々は、あらゆる手段を使って推しへの愛を表現する。 イベントやライブ等の現地参加をする。 グッズを購入する。 コメントを送る。 ゲームがあればそれを嗜む。 なにかとコラボをすれば参加する。 など。 一見普通の推し活に見える。が、これらをまとめ、その後まで見てみると、わたしにはとても残酷に見え

          人は残酷

          正解

          なぜ正解をもとめてしまうのだろう 正解じゃないといけないと思ってしまうのはなぜだろう 正解なんてないのに これが正解 だからわたしが思うままに生きたらいいのに できない

          頭が働かない 死にたい 生きていたくない 誰もわたしを助けることなんてない わたしをただのゴミとしか見てない 親も知り合いもみんなそう わたしはくるしいのにみんなはたのしそう いいね わたしも生きるのがつらくない人生がよかった 人が怖い しんじられない あーあ もうだめだ 手遅れ だからはやくしぬべき 死なないとわたしがくるしいだけ わかってるはず はぁ。ため息ばかり みんながわたしを捨てた わたしもわたしをすてた わたしはただの殻でしかない そこに存在価値なんてない もう誰

          居場所がない 生きていることの無意味さを感じる いらない なにもかも 邪魔だ わたしも いらない 期待させないで 最初から わたしはいらないのならはじめから そうして殺して いじめないで 笑わないで 死にたい こんな世界で生きていたくない なにもいらない 全部消えてしまえ

          …?

          人の価値観とは、こうも一瞬でコロッと変わってしまうものなのか。 わたしは好きなキャラクターが居た。 そのキャラクターのグッズをたくさん買っていた。 それを写真を収め、SNSで共有したこともある。 これが、つい最近まではすごく魅力的で、綺麗に写ったグッズはとても素晴らしくて、それを見てもらえることもとても嬉しかった。 そして、自分の手元にあるグッズが多ければ多いほど、喜びを感じた。 のだが、今それを見てみると、なんともしょうもない。 こんなにグッズが置いてあって、はしたな

          本当のきもち・趣味が好きか

          自分の気持ちがわからない わたしはゲームをやる時間がある けれどそれが本当に好きなのかわからない。 病んでいない時に初めてしまったせいで同じ趣味の人とSNSで繋がっている 本当の気持ちがわからないのは、これがいけないとわかっている ゲームにハマり、キャラにもハマる。そして、共通の話題で盛り上がれる人と縁を繋ぐ。 ゲームが主体で、それについて喋るのならば良い。 けれど、いつの間にか、SNSが主体になってしまっていた SNSで話が合わせられるようにゲームをする。 追いつか

          本当のきもち・趣味が好きか

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          目が覚めた 動悸を感じた 苦しい しんどい ドキドキしている 目覚めることってこんなに辛かったっけ 生きるのも辛い 最近は寝ている間や目覚める時の動悸があまりなかったけれど、やはりすぐには治らないもの しんどい

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          他人との関わり

          他人と関わることが怖い。 過去の人間関係に、良かった思い出がひとつもない。良かったものを探そうとしても、思いつかない。 他人と関わる時に、損得を考えてしまう。 相手の立場になって考えて、過度に相手思いになってしまうこともある。 自分を守りたくて、自分を押し殺し、嫌われないように無理に笑い無理に相手に合わせてしまう。 過去を振り返ってみると、1つ目と2つ目は、所々にあるという程度で、3つ目のせいで都合よく使われて捨てられたことばかり。 気分で使われた。わたしがなにもしていな

          他人との関わり

          ダメ人間

          わたしの毎日。 これはまるでダメ人間の象徴のよう。 起床(08:00~14:00) 洗顔等の身支度 食事 スマホ閲覧・ゲーム>家族の外出について行く 食べられそうなら食事 スマホ閲覧・ゲーム>散歩・外出ついて行く 夕食 スマホ閲覧・ゲーム 入浴 スマホ閲覧 就寝(00:00~04:00) だいたいこのような毎日を送っている。 なんの脈絡もなく、つまらない。ただただ時間だけが経つ。無駄な時間だけが。 生活習慣は乱れていて、起きることができる時間も眠れるまでの時間も様々。 ダ

          ダメ人間

          疲弊

          ひとつの住まいに居続けると、精神状態が悪くなる 狭い空間。シンプルなのに散らかった空間。 原因は何なのかわからないけれど、今の住まいに居続けると精神状態が悪くなってしまう 身内の家に行かせてもらうことがある 期間はバラバラ。短い時もあれば、少し長めに滞在する時もある。 生活空間を変えると、気持ちの持ち方が変わったりもする。それは近所の環境や土地柄や建物の違いなど要因はたくさんあるのだと思う。 しかし、別荘があるわけでもないから、どこかと行き来するわけにもいかない、けれど今

          不安と依存

          わたしはスマホに依存している。 いわゆるスマホ依存というやつ。 1年前には、こんなふうに布団に入ってからスマホを見ることなど一切なかった。 寝る時は離れた場所にスマホを置くようにしていた。 けれど、近くに置くようになってから、スマホを見てないと不安に駆られて眠れなくなってしまった。 不安。とても不安になる。 衝動でスマホを触りたくなって触っている時もある。 どちらにせよ、スマホを見ることで安らぎが得られると思い込んでいるからだと思う。 実際、スマホに心を預けることで、なに

          不安と依存

          どう頑張っても思えない

          この記事で、わたしは毒親に育てられたという結論を出した。 けれど、やはりまだ毒親だと思うことができない。 現状、同じ土地で住まいを提供してくれている、基本的な料金を払ってもらっている、わたしの我儘を聞いてくれる時がある こう考えると、やはりこの人を毒親とは呼べない。 一緒に住んでいてストレスはかかることも多いけれど、やはり感謝すべきなのだと 自分がわからない。もう、わからない。 よく、わからない。 どう思ったらいいのでしょう。

          どう頑張っても思えない