人は残酷

趣味というのは時にキョウキとなる。
楽しければ狂喜となり
独り占めしたくなると凶器になる
熱がこもりすぎて狂気じみることもある

推し活なんてものは、特に残酷だと思った。

推し活をする人々は、あらゆる手段を使って推しへの愛を表現する。
イベントやライブ等の現地参加をする。
グッズを購入する。
コメントを送る。
ゲームがあればそれを嗜む。
なにかとコラボをすれば参加する。
など。

一見普通の推し活に見える。が、これらをまとめ、その後まで見てみると、わたしにはとても残酷に見えた。

推しの対象が人間であれ、キャラクターであれ、推しへの愛を物語らせようとする。
そういう人はたいがいSNSを使って表現している。
イベントに参加した、グッズを所持している、などは、SNSに投稿している人が多い。
それは、自慢なのだろう。
イベントに行ってきたよ、と、同じ趣味の人や友達に報告する必要は、元々は無いはず。(門限や家族にどこに行くかを伝えなければならない等は別)
けれど、わざわざ手間と時間を費やして投稿するというのは、「いいでしょ」「私は彼が好きなの」などと間接的に言っていることと似ている。
グッズを買うことも、同じことが言える。自分で見て楽しんだり、使うために買うことはもちろんあるが、これを大量に購入し、その量をSNSで見せびらかすことは、愛があると認知されたいからなのだろう。

そしてそれらは、「自分が他の人より優れたファンだ」と言いたいからなのだと思う。
そしてこれが言いたくなる背景には、劣等感や承認欲求が隠れている。
つまり、一部の推し活者は、自分を認めてもらうために推し活をしていることになる。推し活が、自分のステータスになってしまっているということ

もちろん、これに当てはまらない推し活者が居ることも理解している。
だが、そのような人は自慢に値する投稿をしないのだと思う。

SNSで見せびらかす推し活者は、ある意味でははしたないと思う。
弱い人間だと言うことを見せびらかしているようなもの。
本当に推しが好きで、他人がどうであれ推しを応援したいと思っていれば、そのような行為はしない、したくない、する気がないと思う。


ここからがもっと残酷。
推していた人、キャラクターを、降りる日が来る。
その期間が長かれ短かれ、SNSで見せびらかす推し活者は飽きるのも早い人が多い。

降りたら、グッズが不要となる。
イベントの限定品、発売時間に血眼になって手に入れたもの、写真やイラストが好みで数を詰んだもの。

最近は便利になり、フリマアプリが主流となっている。
そんな中、担降りしたグッズをそこに売り出すことも主流となっている。

残酷だ。あれほど愛を注いでいたのにも関わらず、ポッキリ飽きてしまって全てを売却する。捨てる訳ではなく、飽きたもので少しでも儲けようとする。

これでは、まるで推されている方は、使い捨てされたようなもの。
ハマったからという理由でお金を貢がれ、最後にはお金儲けをするための駒にされる。

人間ってここまで残酷だったんだな

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