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デンマークにいたころの写真を取り上げて、当時のことを振り返るエッセイを書いていきます。
書いた詩を頑張ってまとめます
I stopped wearing my headphones Because I already miss the sound of this town And the rhythm I hear in your steps I stopped taking pictures Because I want to keep my feelings alive So I can make songs for them It's sad that memories fade
毎朝8時に散歩に行くことにしている。 家を出てしずかな路地をいくつかこえると、広めの公園にでる。北海道以外では見たことがなかったが、公園の全体が丘の斜面のようになっている。冬には子どもたちがスキーの練習をするのだ。 秋晴れの青空に映えるイチョウの黄色、ナナカマドの赤色、公園の芝生に落ちる黒い木の影を眺めながら歩く。色や風を肌に感じて歩きながら、僕は生き方のことを考える。 昔からの友人から、新しい仕事の話が来ている。一方で、音楽の方にもようやく進展がありそうだ。生き方を決
仕事というものについて考えてみる。 大人も子どもも、みんなそれぞれ仕事というものについて考え方を持っていると思う。 それは、嫌だけど我慢することかもしれないし、生きがいと呼べるものかもしれない。あるいは、価値を提供するという行為なのかもしれない。その時関わっている仕事や人生のタイミングによって、個人の中でも変わってくるものだと思う。 僕にとって、仕事とはなんだろう。お金を稼ぐためにやらないといけない仕事も確かにある。でも、自分の人生にとって仕事というものが「お金を稼ぐ手
曲の中盤、ギターとビートが静かになると、ボーカルのエリザベスの声が際立ってくる。エリザベスは、「こんな夜をずっと覚えているんだろう、ずっとおぼえているんだろう、あなたを覚えているみたいに」という歌詞を、何度も繰り返す。僕はこの歌が大好きで、聴きながらずっと覚えている夜のことに想いを巡らせる。その夜の記憶が、今の自分の中にちゃんと根を張っていることを確かめるみたいに。 * 僕らはオーフスという街に住んでいて、時々パブクロールという遊びをした。クロールとは、英語で「這って進む
これは、バンド仲間のAさんがたまたまヨーロッパにいるというので、ヴァルビーという街のカフェで一緒に朝食をとったときの写真。 外はつめたい風が吹いていたけど、朝からキャンドルをつけたテーブルは、おだやかであたたかい空気に包まれていた。冬の朝のひかりに照らされて、キャンドルの火もすきとおって見えた。右からのびる手はAさんのものではなく、一緒にきていた友人の手。Aさんの細かい演出にしたがって完璧な位置におかれ、撮影された手だ。 Aさんとは、大学3年から参加していたバンドで仲よく
週末の朝や夕食の後、僕とアクセルはよく二人で散歩にいった。 僕らの散歩コースはだいたいいつも決まっていた。家の裏の農道をまっすぐ進む。右手には広い丘が広がって、いつも胸がすくような風が吹いている。大きな犬が2頭いる大きな家の角をひだりに曲がる。左手に森をみながら公園に出る。一面草が生えたひろい場所で、公園というよりも草原といったほうがイメージしやすいような場所だ。公園をとおって住宅街に戻ってくる。丘や草原の緑に囲まれて、人間らしさを思い出せるようなゆったりとした時間が流れて
これは、オーフスでとても仲良くしてくれたスコットランド出身のクリストファーからもらったプレゼントの2冊のジン。今も手元にあって、宝物のように時々読み返している。 スコットランドはイギリス、ブリテン島の北側にあって、良質のポップバンドがたくさんうまれる不思議な土地だ。トラビス、プライマル・スクリーム、ティーンエイジ・ファンクラブ、モグワイなど、スコットランド出身の好きなバンドをあげようとすると、枚挙に暇がない。540万人ほどの人口(兵庫県と同じくらい)しかない地域の中から、世
これは、僕がデンマークにいたのと同じ時期にフランスに留学していた友達のYくんがとった写真。まんなかに写っているのは、野生のアザラシ。 Yくんがちょうど休暇かなにかで、わざわざ僕に会いにオーフスまできてくれた。そこで、二人で一緒にスカーゲンという小さなまちを訪ねた。スカーゲンはデンマークのユトランド半島の北の先端で、北欧側にはバルト海、ドイツ側には北海を臨んでいる。スカーゲンの町の先端には岬があって、そこではバルト海と北海がまざるところがみられるということで、デンマーク国内で
最近は、instagramの方に短歌を投稿しています。 https://www.instagram.com/5gatsujelly/
夜、何度も目が覚めてしまって眠りが浅く、しかたがないのでベッドから出て、パソコンを開く。 蝋燭をつけ、10年くらい前に作った曲が夜中に頭の中に何度も流れてきたことを、ノートにメモする。フルアルバムをもう一度だけ作ろうかと何年も前から考えている。これは自分の人生の未完了なのかもしれない。何年もなり続けている電話を取らないでいるようだ。 夜中に何度も頭の中で鳴っていた曲と、最近できた2曲を合わせ、以前からレコーディングしたいと思っていた曲も合わせるとだいたい20分くらいになる
あっという間に今年が終わってしまう。2023年ってなんだったんだろう。 成長とか、変化とか、そういうものでラベルをつけて振り返る人たちを横目で見ながら、今日も一人で最寄りのコーヒー屋さんで仕事をしている。 今日は朝から雪が降った。雪の日は景色が真っ白になり退屈なので、音楽を聞きながら歩くことにしている。 最近は翻訳やコーチングの仕事のかたわら、友達の作曲した音楽の編曲を手伝っている。フォークギターと歌だけの音源に僕が後から楽器を足すスタイル。弾き語りの音源を聞いたときに僕
僕が誰かを慰めたいと思って書いた曲は例外なく、実は自分に向けて語りたかった言葉だったということは、疑う余地のないことのようです。 だれかを慰めるように歌ったことを今聞くと、今の自分に向けて10年前の声が歌ってくれているようで、受け取りたいような受け取りたくないような、親にプレゼントをもらった思春期の少年みたいな気分になります。10年前、自分はその時の苦しみを歌にして、歌の中で自分を慰め、歌うことで消化しようとしていました。だからきっと、まだ苦しいのです。 歌にしたかなしみを
最近、数年前に作ったCDが、月に1,2本のペースで売れていく。 自分の命と引き換えにする思いでこの世界に残した曲たち。今思い出しても喉がぐっと狭くなり、吸う息を胸まで届かなくするような記憶とともにレコーディングした十数曲の作品。死んでもいいという覚悟で作っていたと思うけど、本当は、消えたい、もう終わりにしたいという言葉の方が、質感が近い気がする。そんな状態で作っていた。それでも音楽をやっていた。音楽から離れられなかった。 それが、どんな形であれ今の自分の人生に残っていて、そ
デンマークで一緒に暮らしていたおじいちゃんのアクセルが、日曜日の朝亡くなったそうです。 もともと癌を患っていたのですが、娘さんからは、去年あたりに退院して元気に過ごしているというところまでしか、聞いていなかったので、突然のことでした。次日本から会いにいけるのは、しばらく先かなと思っていて、コロナが明けたら会いに行きたいと、漠然と考えていました。 知らせを受けた日曜日は仕事で、早起きして久しぶりにオフィスに向いました。電車の時間や乗り換えを調べたり、来客と話したり、プリンタ
うちのおじいちゃんは牧師をやっていた。 戦争には行かず、東京で過ごした。大空襲のときは咄嗟に川に飛び込んで凌いで、無事に生き延びたとのことだった。 焼け野原だった東京、といっても青梅の方に、教会を建てて、80歳をすぎても現役で礼拝に立ち、毎日礼拝の講話をしていた。 おじいちゃんの話は、十代だった僕には面白いものではなかった。 毎週の礼拝でおじいちゃんが人前でするお話しは独りよがりな感じがして、中学生のころを境に一切教会には行かなくなった。 7月の終わりに急遽用事があって、
久しぶりに会う大切な友達が札幌に来てくれる。 ロンドンで美術を学んだその人は、日本の会社が馴染まなくて会社を辞めて、その後アルバイトとか非常勤をやりながら、いつだったかSNSで見かけたときは、アムステルダムで髪に色とりどりのエクステをつけて、体全体で笑って写真に写っていた。 最後にあったのは、3年くらい前?コロナ真っ只中で、緊急事態宣言が出たり出なかったりしていた時期だったと思う。 地下鉄東銀座駅から帰宅する間際になって、少し飲もうという話になった。店に入るほどでもなか