「古代中国の理想」は、日本の飲食店で実現されていないだろうか。
古代中国で、理想の皇帝の継承は「禅譲」だと言われていて、そのことを、それほど熱心に歴史を学んだわけでもないのに、何だかよく覚えている。
禅譲
それは、権力の多くは、「世襲」という方法で、親から子へと受け継がれることが圧倒的で、今の日本社会も、政治の世界は、典型的な「世襲」になっているから、「ふさわしい徳をそなえた人物に権力を譲る」といった形式が、余計に、素晴らしいものに思えてしまうから、「禅譲」のことを、思い出すのかもしれない。
この世襲率の高さが、現代の日本の様々な問題点と関係あるような気もしてくるけれど、投票率の低さから、政治への諦めが進行しているような現状では、この割合が高くなることはあっても、低くなることはないのでは、と思うと、いやでも気持ちは暗くなる。
それでも、今のように「世襲率」が高いのは、ここ50年で進んだ「最近」のことだと考えると、まだそれほどの「歴史」ではない、とも思う。
常連客
そうした権力の世界とは別に、飲食店では、こうした例↓を聞くことが少なくない。
もちろん、多数であったら、ニュースにならないので、確かに少数の例かもしれないけれど、飲食店などが「後継ぎがいないから店を閉める」といったときに、その味がなくなることを惜しんだ「常連客」が店を継ぐ、ということは、他にも聞いたことがある。
それは、その店の「味」を継ぐだけではなく、店構えや、店の持っていた雰囲気も含めて、維持していこうとするならば、それは「志」までも継承する、ということになるのだろう。
それでも、多くは親子で店が継がれる「世襲」の方が多いはずだけど、「常連客」という「他人」が、こうした「志」までを継ぐことができたとしたら、それは、古代中国の理想でもある「禅譲」にかなり近いのではないだろうか。
もし、その後継者が「志」や「能力」や「徳」を持ち、その飲食店を、さらに発展させたとしたら、そのときには、本当の意味で「禅譲」と言えるのだろうけど、「世襲」ではなく、全く血筋ではないところから、後継者を選んだ時点で、その飲食店は、大げさに言えば、世界に開かれた選択をしているのではないだろうか。
ソフトバンク
それほど詳しく知らなくても、一代で大企業を築き上げた人として、孫正義の名前は知っている。
創業者社長は、自分の乏しい記憶の中でも、多くは自分の子供に「社長業」を継がせたがり、そして、そうした一族経営の企業の大部分は当然のように「世襲」を採用しているはずだ。(政治家の世襲が多いのも、感覚が似ているのかもしれない)。
それは、ある意味では、他人を信用しないという、慎重さとも言えるかもしれないけれど、ここ何十年かでも、最も有名な創業者社長・孫正義氏が、後継者を世襲で選ばないらしい、ということを知ったのは何年も前だった。
私の知識は、恥ずかしながら、2014年の時で更新されていないので、華々しく招いた人物が、会社を去っていたのは知らなかった。それでも、「世襲」ではなく、「能力」で後継者を選ぼうとしているのは事実のようだ。
こうして、創業者社長が、「世襲制」を採用しないのは、実は、かなり画期的であって、もしかしたら、孫氏は「禅譲」的なことをイメージしているのかもしれない。
だとしたら、孫氏はこれからも敬意に値する経営者として、長く語り継がれていく可能性もある。
「禅譲」まではいかないとしても、「能力」を主として「世襲制」を採用しないという選択をすることは、実は思った以上に、すごいことではないだろうか。
「世襲」ばかりが多い現状を見ていると、そんなことを思ってしまうのだけど、それは的が外れているのだろうか。
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