涙を流した数だけ
人は、強くなんてなれない。
noteのアカウントを取得して、今日までの間何度泣いたことだろう。
恐らく、数え切れないほどの涙を流し続けた。
確実に平均的には週イチで泣いているはずだ。
いや、殆ど毎日泣いていることだってあるのだから、平均すれば週イチ以上で涙を流している。
涙の意味には、さまざまな意味がある。
例えばライブで流した涙は、言葉で表現できない涙。
そこには、喜びも悲しみも苦しみも混ざったものが涙としてあらわれた。
曲を通じて、わたし自身の辛さが投影されてしまうから適切な言葉での表現ができない。
そして、涙を流す大きな理由は、苦しみや深い悲しみだ。
そうなった理由は、就労移行支援事業所の支援員だ。
きっとこの話は何度もここに綴ってきていると思う。
元々、気持ち悪い非人間でクズだと周りから突き付けられていたわたし。
そんなわたしが、何とか主治医をはじめとした医療従事者に支えられながら、ほんの少しずつ人間であると思えるようになった。
こんな自分が生きていて良いんだ、と思えるようになり生き延びることができた。
そして、社会復帰の為に就労移行支援という障害福祉サービスを利用した。
そこで、就職が決まったタイミングである支援員とそいつが惚れこんで入社させた新人支援員との気持ち悪い共依存不貞匂わせ行為の影響などがあった。
そこで、わたしは元々周りから突き付けられていた非人間で気持ち悪いクズだということを、改めてこの支援員達によって突き付けられた。
人間として生きることを、諦めろ。
人間としての当たり前の感情や幸せは、障害者は持ってはならない。
仕事さえすれば、こころが死のうが関係ない。
そんなことを突き付けられた。
加害者達は
「そんなこと(不貞匂わせや勘違いさせる態度や言動)はやっていない」
「自分たちは悪くない」
「全てわたしの勘違いで、わたしに非がある」
と口裏合わせをしている。
けれど、わたしがやられたと感じたことや事実は変えられない。
それは、他の支援員がいない時を狙って行われたことなのだから。
こんな思いをして、就職して働き続けることの苦しみや辛さなんて、あの加害者達には一生わかるわけがない。
仕事でのポンコツぶりに凹んで泣くことは、殆どない。
それは、わたしにとっては気付きと学びであると捉えられている。
けれど、人としてのベースとなる部分を傷付けておいて更に傷に塩を塗り付け続けられることに対して涙が出るのだ。
♪涙の数だけ強くなれるよ
そう歌っていた人もいるけれど、わたしの場合は涙の数だけ弱くなり惨めになっている。
これを綴っている今だって、いや、今日一日中泣いていることだって誰も知らない。
それ以上に、わたしが毎日ほぼ泣いていることだって加害者達は知る由もない。
いや、約6年前にわたしに病名が付いて、家族を失い誰も頼れなくなって天涯孤独で全てのもの、人間と独りで戦い続けていることなんて知る由もない。
わたしのこれまでの背景なんて、知ろうともしなかったのだから。
今後だって、知ろうとする姿勢すら見せないのだろうから。
Xdayにぶち撒けて、派手に死ねると楽になれるかもしれない。
身体をこの世から消せば、存在自体も消えるのだから。
そういうふうに考えを変えて、泣くことをやめなければならない。
けれど、泣きたくないのに涙が溢れて止まらないのは、何でだろうね。
涙の数だけ強くなれるのなら、人間はとっくに皆鋼のメンタルになっているだろう。
涙の数だけ、人は弱くなり惨めになる。
涙なんて枯れてしまえばいい。
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