源「航海日誌」

はじめまして 源です。 美大を卒業して紆余曲折...  いつしか制作を諦め →建築→実戦空手→公務員→ 気がつけば みんなの居場所のような  教会のようなアトリエを開いていました 人生は航海のよう… 今までの経験を これまでの航海を そして今想うこれからを 日誌に綴ります

源「航海日誌」

はじめまして 源です。 美大を卒業して紆余曲折...  いつしか制作を諦め →建築→実戦空手→公務員→ 気がつけば みんなの居場所のような  教会のようなアトリエを開いていました 人生は航海のよう… 今までの経験を これまでの航海を そして今想うこれからを 日誌に綴ります

最近の記事

「人はどうして生きるのか」

人は必ず死ぬとわかっていて どうしてそれでも生きるのか 私は最愛の父が癌闘病の末に その生涯を終えた時 呆然自失となり 人は死ぬとわかっていて 死ぬと決まっていながら どうして生きるのか その意味がわからなくなった 今も自問自答の日々が続いている どんな本を読もうが どんな貴重な説法を聞こうが 友人知人に聞いても 自分への明解な答えはない 答えは出てこない それは自分が見つけるしかないのかも 一生涯かかってもだ 自分が感じて見つけ出すしか方法はない ならば 死ぬまでに

    • 「帰れる居場所」

      ひとえに 私が考えるグループホームのこと 障がいある人も ない人も 認知症の人も どんな人も帰れる場所 そんな居場所となるグループホームを 設立したいと私は考えている いわば 教会のような だれもがその存在を当たり前に認められ 安心して戻れる教会のような そんなグループホームを創りたい 障がいある人は その親なき後が大切になる 親なき後にどう暮らしていくか その安心を 小さな木造の昭和アパートを買い取って 創り出してみたい 例えば 6畳だけの部屋が4~6部屋でもい

      • 「教会アトリエ」 ~あったらいいな

        私は今 障がいある人もない人も 自由に制作するアトリエを開いている そこに指導や評価は存在しない ひとり一人の存在を当たり前に許される そんな教会のようなアトリエだ 絵を描く人 機嫌の悪い人 ふて寝する人 読書する人 お菓子食べて寝る人 おしゃべりしたい人 何も考えずにボーっとする人 いろんな人がいる この人たちがそこにいながら 自分たちらしく 一日仕事に携わる場所を創りたい どんな仕事だっていい いろんな仕事があっていい 例えば お世話好きなゆいちゃんは 絵を制

        • 「あったらいいな アートデイサービス」短編エッセイ

          私の母はアルツハイマー型認知症だ 最近 一緒に暮らす父が他界して なお一層アルツハイマーの症状が進んだ 父の葬儀の時に私は 衰弱して記憶喪失のような表情で 喪主を務める母を見て 瞬時に あることにひらめいた 葬儀中に私はなぜか 母が喜ぶことは何か と考えた うれしい 楽しい が人の生命を復活させ 心を蘇らせる 誰もが思うところだ 私は母の居場所となるような 母が好んでやまない場所を考えた それは 母が行きたくて仕方がない 高齢者デイサービスだ 母は手作りものが好きで

          「一わだけ はんたいに あるいたら...」 絵本から読み取る自分

          この絵本はとても皮肉なほどに 現代社会の人間模様というか 組織で生きる人間たちの 集団心理の悪しき点を突いている 〜ストーリー〜 ある島にたくさんの数のあるき鳥が住んでいた 不思議とみんな同じ方向を向いて いつも同じ列をつくり 並んで歩いていた ある日のこと 一わのあるき鳥が 反対の方向へ歩き出した まわりが大変なことになった 「あいつは頭がおかしくなった」と みんなでそのあるき鳥をののしった 「ばかなやつめ!」 「みんなと同じように正しく歩け!」 「みんなと足並みをそ

          「一わだけ はんたいに あるいたら...」 絵本から読み取る自分

          「たりたりユートピア」 〜エッセイ

          ユートピア 一言でいえば楽園だ それも現代の一般常識民には理解されなくても 自分たちが最高に充実する理想郷だ なんといい響きだろう 自分たちの理想郷 それも 大きくなくていい 小さな木造の空き家でよい そこを自分たちで手直ししながら使う のんびりコツコツと さて どんなユートピアか それは障がいある人もない人も 日本人も外国人も 子どもも高齢者も 誰もが何の隔たりも無く そこが安堵する居場所のように 絵を描いたり 粘土をこねたり 工作したり 刺繍したり 家を修理したり

          「たりたりユートピア」 〜エッセイ

          「膝の代わりに」 〜エッセイ

          私は自身の価値を問うべく 当時最強?とは言い難いが ある武道空手の流派(実戦空手)の世界に身を置いた時期がある 当時の私は20代の後半 バカみたいに空手に打ち込んだ 一日中 空手漬けの生活がしたくて 無職になって朝から深夜まで 空手漬けの生活に浸った 朝から昼までは裏山をロードワーク 昼からは入念なストレッチ 夕方まではウェイトトレーニング 坂道ダッシュなど 夜からはいろんな道場へ出稽古へ行き そこでいろんな黒帯選手たちと戦う 帰宅するとビデオ動画を観て分析 そして大事な

          「膝の代わりに」 〜エッセイ

          「おやじの靴」 ~エッセイ

          おやじは私のところに 「この靴は お前が履けないか」 と言って3足ほど持ってきた 末期がんで力なく やっとのことで歩けるような よぼよぼとしたその姿で… 私は早速その靴に足を通してみるが 残念ながら どうも小さい 何とか無理にでも入らぬものかと ぎゅうぎゅうとつま先から押し込むものの やはりどうにも入らない 余命の迫るおやじの形見配りのような意図を感じた私は 何とか受け取ってやりたかったが 履けないものは仕方がないと諦めて おやじに靴を返した おやじは少し残念そうな顔をし

          「おやじの靴」 ~エッセイ

          「絵本は大人へのメッセージ」 短編エッセイ

          絵本が社会人となった大人へ 影響を与えることは少なくない 絵本はもしかしたら 鈍感になってしまった現代の大人たちへ 何かを気づかせる道しるべのような そんな意味を持っているのかもしれない きっと誰でも一度は大人になってから 何か影響を受けるような絵本に 出逢ったことはあるのではないか 私がここで紹介する絵本は 【すてきな三にんぐみ】 アメリカのアンゲラーという人の作品 自身も50歳を過ぎて久しぶりに 偶然な発見とも言うべき出逢いだった ある日 何となく図書コーナーで 「

          「絵本は大人へのメッセージ」 短編エッセイ

          「怪力じいちゃん」 短編エッセイ

          大岡川 実家のすぐ近くを流れる川 おじいちゃんの伝説がある ある時 おじいちゃんをよく知る叔父から聞いた話だ その叔父は生きている間に  おじいちゃんのことをすべて語り伝えておきたいと言って 長男の僕を代表として家に招いた 大岡川は上大岡 弘明寺 黄金町 日ノ出町と 京急線沿いに流れる 特に黄金町や日ノ出町はあまり治安的にはよくない? 昔ながらのチ〇〇ラ ヤ〇ザがいる地帯だ その叔父いわく とにかくおじいちゃんは強かったらしい 柔道家で相撲も負けなし ケンカもヒクソン

          「怪力じいちゃん」 短編エッセイ

          「魔法の修理屋」 短編エッセイ

          「魔法の修理屋」Nオート 実家近くにある自動車修理店 僕の古い車は2台ともここで修理している 付き合いはまだ浅い 私の昭和年式の愛車Sが もうガタガタで どうしようもなくお手上げ状態で とある日 日本を代表する某ディーラーに持ち込んだ 「うちでは無理ですね」 と ディーラーのメカニックは車を詳しく調べることもなく 一目見て一瞬で言い切った 私は「それでもディーラーですか?  この車を製造したのは御社でしょ?」 「ただ年式が古いだけで何も点検もしないで見捨てるのか」と問

          「魔法の修理屋」 短編エッセイ

          「私のくるま」~迷い子のように...

          私のくるまは 迷い子のよう… 役目を果たさず さあ どうする? 私の車は 父のために購入した と言っても過言ではない しかし その役目を果たしていない もともと私は燃費のよい小型のハイブリットカーに乗っていた しかし 急遽 車を買い替えた その訳は 父を乗せていろいろな所へ出かけるために 父が車内で横になって 寝ながら移動できる 中古のワンボックスカーに乗り換えた 父は以来癌もちの人で手術を繰り返してきた 約4年前には喉頭がんの大手術で 声帯もリンパも全摘出した そし

          「私のくるま」~迷い子のように...

          「時を超えて」 父の横顔

          私はいつも あの時に戻りたい あの時に戻れたら と悔いながら  今もなお 過去を喰いながら生きている 現実を受け入れて生きていくほど まったく人間ができていない 前向きにとか 切り替えてとか 簡単に扱う言葉が大嫌いだ いつも本当に神様がいるなら 死ぬほど懇願して 一生に一度の願いを 魔法を使って叶えてくれるなら タイムマシンに乗って過去へ戻り やり直したい 映画「バックトゥザフューチャー」に登場するあの過去と未来を行き来するデロリアンに乗り込んで… 大人げなくこの50歳を

          「時を超えて」 父の横顔

          「心の川」~短編

          遠く遠く離れたその場所に その川は流れている それは皮肉にさえ思えるほど 私の心を象徴する 絶望や失意を 私の目に映しこむ その川は 私の想う人が暮らしている家のすぐ近くを流れる 私の想う人 それは離れ離れになった今も その人を想い 老いてもなお その人を想う気持ちは変わらない もう何年になるだろう あの人が横浜を去ったのは あの人のいないこちらは空虚なもので 私なりに幸せを見つけて埋めようと試みてきた でも 心の奥底にあの人の存在があったのか 新たな幸せという私が求め

          「心の川」~短編

          「何者にもなりたくない」~後編

          彼は何を考え 今を生きているのか あれから彼はどうやって生きてきたのか 今をどう見ているのか それを知ることは 私が見えない自分を知ること 私は何か勘違いをしている 何か端然たる大事なことに気付いていないような気がする そう思い 彼ともう一度会うことにした それもできるだけ早く のんびりとまたいつか会える時ではなく もしかしたら 何かおかしい自分がいて  彼と対話することで早く知りたい できるだけ早く確認したかった 私は無理をお願いして彼に会った 互いの休日に会うのは難

          「何者にもなりたくない」~後編

          「何者にもなりたくない」 ~前編

          「何者にもなりたくない」 美大時代の友人が卒業時に放った一言だった 以来 この言葉の意味を知ったのは 美大を卒業して約30年以上経って  その友人と再会した時だった  それまで卒後に一度も会うことはなく 互いに50歳を過ぎていた 同期で作品の評価も高く 優秀だった彼は いつも教授陣から期待される学生だった 美大に入る前に 某国大を現役で入学して その国大を1年で中退して そのまま翌年に美大に入ってきた だから美大の同期の中でも 頭脳はズバ抜けていた さすが現役で国大に入る

          「何者にもなりたくない」 ~前編