「帰れる居場所」
ひとえに
私が考えるグループホームのこと
障がいある人も
ない人も
認知症の人も
どんな人も帰れる場所
そんな居場所となるグループホームを
設立したいと私は考えている
いわば 教会のような
だれもがその存在を当たり前に認められ
安心して戻れる教会のような
そんなグループホームを創りたい
障がいある人は
その親なき後が大切になる
親なき後にどう暮らしていくか
その安心を
小さな木造の昭和アパートを買い取って
創り出してみたい
例えば 6畳だけの部屋が4~6部屋でもいい
それは4~6人だけのグループホームになる
そこにみんなで晩飯を共にするキッチンがほしい
小さな木造のそんな居場所は
グループホームというには名ばかりだが
ひとり一人の部屋とその暮らしが
確かに安心という空気で包み込まれる
もっと言えば
空き家でも構わない
そこを暮らせる程度に手を入れて
修理しながらグループホームという空間に
創り上げていきたい
運営においては
今は地方行政の補助額も厳しい情勢だ
国の制度を利用したこの事業は
簡単ではないと聞いている
でもやってみなけりゃわからない
やらないと始まらない
私は障がいある人たちが自由に集まり
自由に制作するアトリエを開いている
そこではアトリエの利用者メンバーの親と
よく話をする機会がある
親として
一番ほしいもの
一番望むことは
自分たちがいなくなってから
子どもが安心して暮らしていける
生活の場だと言う
それがグループホームだ
そのグループホームは
今も数が足りていない
私の居住する横浜もその一例だ
私の親しい友人は
横浜市内に
子どもの入所できるグループホームがないと言って
地元の東北へ帰郷した
私はその言葉を耳にした瞬間
言いようのない悔しい気持ちと
何か自分に対する怒りのような気持が
心の奥底から静かに湧いてきた
親しい人が横浜を後にする
それを変える力のない自分は無力だと
私はその時に意識した
横浜市内に小さな木造の
アパートのようなグループホームでいいから
必ず立ち上げてやる
と静かに静かに奮い立つような気持を抱いた
何か復讐のような
自身への
何かへの
不思議な気持ちが体内の奥深くで
小さく共鳴しているような
そんな気がする
どんなに古くて小さな木造でも
親なき後の人たちが帰れる居場所
時代が変わりゆく中でも
ずっと安心して暮らし続けていける
そんな私の考える
小さな小さなグループホームは
変わらずにずっとそこに在り続ける
持続可能な
「あったらいいな」
の居場所を実現したい