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「おやじの靴」 ~エッセイ

おやじは私のところに
「この靴は お前が履けないか」
と言って3足ほど持ってきた
末期がんで力なく やっとのことで歩けるような よぼよぼとしたその姿で…

私は早速その靴に足を通してみるが
残念ながら どうも小さい
何とか無理にでも入らぬものかと
ぎゅうぎゅうとつま先から押し込むものの やはりどうにも入らない

余命の迫るおやじの形見配りのような意図を感じた私は
何とか受け取ってやりたかったが
履けないものは仕方がないと諦めて おやじに靴を返した
おやじは少し残念そうな顔をして
ソファーに座り しばらく宙を見つめてから
よぼよぼと歩いて持ち帰った

日に日にやせ細り 弱っていくおやじは
歩く力さえままならないのに
それでも私のところへ生前贈与のように
また形見分けのように自分の物を持ってくるのだ

こんどはハットだった
帽子系なら誰でも使えるだろうと思ったのか
3つほど持ってきて
「これ お前にやるよ」
という仕草で私に手渡した
父は数年前の手術で声帯を摘出したので話せないが
今は話せなくても 筆談せずとも
私と父は何となく通じ合う気がして
互いの仕草でやりとりする

それから父亡き後
私は父からもらった帽子を大切に使っている
型崩れしないように 車に乗ったときは
帽子置きのフックを車内に作り そこに固定して置く

おやじの帽子をかぶっていると
時折 外出先で
「おしゃれな帽子ですね」
と言われる時がある

何だかうれしい
おやじが生きているような気がしてくる

私はおやじが遺したすべてのものを
大切に使うつもりだ
ベルトもズボンもジャケットもバッグも
スカーフも 何でもかんでも
全部大事に使う気だ

私は一切
自分が使う身の回りの物や
身に着けるものを新たに買う気はない
おやじが遺したすべてのものを
私が生きている間に使い切るつもりだから

私に流行り廃りは関係ない
今となっては余計に興味もない
おやじのものが例え時代遅れに見えようが
私はおやじの服を着て 親父のバッグを持って おやじの帽子をかぶり出かける
それがなんと贅沢なことか
自分にしかわからない極上の贅沢
それは至福の一言に尽きる

不思議なもので
おやじのものを身にまとうと
なぜか静かに語ってくるものがある
何か語ってくる気がするのだ
それはおやじだ

おやじの遺したすべてのものに
おやじは生きている

それを身にまとう私は
おやじと一緒に生きている
生前の人型のおやじはいなくとも
服 帽子 ベルト 時計 バッグ
スカーフ 靴
あらゆるものに おやじは生きている

おやじのものを身にまとい
私は車に乗れば
おやじと二人で一緒に乗っている気分になる

私は生きている間
ずっとずっと
おやじのものを身につけて
そして身にまとい 
天命をまっとうするつもりだ

だから手入れは欠かさない
長く長く使っていけるように

さてさてそうして
靴はどうする?
サイズの合わない靴がたくさん遺された
生前おしゃれ好きだったおやじは
靴も凝っていた こだわりのある靴たちが
たくさん顔を並べて 静かに靴だなの中で眠っている

実は決まっている 
私は靴をどう生かすか

あの時どうして私は 
自分の足に入らないからと言って
サイズが合わないだけで
おやじがよぼよぼと力なく歩いて持ってきた
あの靴を返したしまったのだろう

バカだな ほんとにバカだ
今になってほんとにそう思う
履けるか履けないかは別として
受け取っておけばよかったではないか
おやじが生前に形見分けのように
私に持ってきたのだから
「ありがとう」と言って
もらっておけばよかったではないか
今は至極当然そう思うのである

履けなくたっていい
今はあの靴たちを生かして
どうしてもやりたいことがある

それは作品にしたいのだ
おやじの靴たちをすべて床一面に置いて
大きな画面の中にレイアウトして
綺麗に並べ入れるようにして描きたい
おやじが大切にしてきたすべての靴を
思い残すことなく描き尽くしてみたいのだ
描き切ってみたいのだ

それが完成したら
美術展の公募作品に出品してみようと思う

なんて最高のモチーフなんだろう
今まで自身が描いてきた少ない作品群の中でも
一番のモチーフで 一番描きたいテーマだ
こんなに絵を描きたいと思ったことはこれまでにないほどだ
私は美大を卒業して今まで
初めて自分が描きたいものに出会ったような気がしてならない

おやじの大事にしてきた靴は相当な数ある
さあ どう床に並べて 入れ替えて
レイアウトして と…
考えただけで楽しくなるが
それと同時にあの狭い自身の生活部屋でどう作品を制作するのか
う~ん ちょっと頭の痛いというか
これまた悩ましいところだが

これは自分にとって
初めて描いてみたいものに出会えた
うれしい悲鳴として
幸福と想うことにしよう


〜追伸 

おやじ
靴はやっぱり
僕がぜんぶ
もらっておくことにしたよ


2024年7月23日
















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