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「何者にもなりたくない」 ~前編

「何者にもなりたくない」
美大時代の友人が卒業時に放った一言だった
以来 この言葉の意味を知ったのは
美大を卒業して約30年以上経って 
その友人と再会した時だった 
それまで卒後に一度も会うことはなく
互いに50歳を過ぎていた

同期で作品の評価も高く 優秀だった彼は
いつも教授陣から期待される学生だった
美大に入る前に 某国大を現役で入学して
その国大を1年で中退して
そのまま翌年に美大に入ってきた

だから美大の同期の中でも 頭脳はズバ抜けていた
さすが現役で国大に入るだけあるな
と同期から一目おかれる存在だった
また 国大からいきなり進路変更して
すぐに美大に入る経緯も驚かれていた
身体能力も高く スポーツ万能 
そして 誰からも好かれ 慕われる存在だった

その彼は
美大を卒業してから仕事を転々とした
教員をやったり 家具職人をやったり
時々 失業手当をもらったり
今は公共施設の臨用職員をしている

その彼と30年以上も経ってから
急に会うことになったのは
私が声をかけたから
美大時代に私が親しかったのは
彼と もう一人いた
その二人は私と同い年で気の合う仲間だった
私はSNSで一人の友人を見つけたことで
連絡を取り合い 三人で会うことになった

三人とも再会は卒業して以来
50歳を過ぎても 友人二人は変わっていなかった
老けていなかった 当時のままのようだった

三人で食事をしてから
その足で森林公園へ行き
ずっと木を眺めながら 三人で昔話をした
美大時代の苦しかったこと
制作から逃げ出したかったこと
食べるお金がなかったこと 
など いろいろ…

僕はそこで 不思議と妙なことに気づいた
「何者にもなりたくない」と言葉を残して卒業した今の彼と 今の私の違いだ
彼は変わっていない 
僕は変わった 時代の変化で流されたのか 
会話の中で 彼は私の発する言葉の意味が
わからないという
今どきの当たり前に使うカタカナの言葉や
今の時代に当然と思って使う言語を
「それ どういう意味?」
と彼は私に聞いてくる

そして
彼は 私の話す内容に 
あまり興味のないように見えた
なぜか不思議と私は
自分がつまらない人間に思えた
話す内容がつまらない
現代社会の基準や常識
または風潮に流されているような
そんな気がしてきたのだ
上っ面で表面的に口が動いている
自分にそう感じた

三人は限られた時間を惜しむように
またいつか会おう と言って
駅で別れた

私は家路に向かう電車の中で
彼と自分の違い 違和感は何だったのか
自分と彼は何が違うのか
無性に知りたくなった
気になって仕方がないのだ
いったい自分は何者なんだと
問い始めて仕方がなかった

彼は一切誰とも比べていない
美大時代からそうだった
社会的な評価も求めていない
今これからをどうあるべきとか
何かを成そうとか
そのようなことは一言もなく
あまりにも自然体すぎるのだ

思い起こせば
美大当時から彼は変わらない
他者と比べず 他者を尊重する
自分の内を視て 何か俯瞰しているようなところもあり 学生にしてはどこか大人びて 妙に落ち着いていた
また 面白い視点から物事を考察するユニークな彼は 同期の中でも人気者だった

僕はどこか そんな彼を羨むような
自分にないものを感じて 嫉妬していた
そして いつも気になる存在だった

その彼と50歳を過ぎてから再会し
私の中に残った違和感は 日に日に強さを増していった
今の彼から 今の私はどう見えるのだろうか
今の彼は 今の社会をどう見ているのか
そして 彼は今をどう生きているのだろうか
私は彼を知り 自分を知りたかった 今の自分が盲目のような気がした 彼の目を通して 客観的に自分を知りたかった

私は再度 彼に連絡をした
後日 また改めて会うことになった
卒業してからずっと会っていなかったのに
50歳を過ぎてから こうしてまた 
二度目の再会をすることになった

この先は後編に綴ります


2024年7月1日







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