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「時を超えて」 父の横顔

私はいつも あの時に戻りたい
あの時に戻れたら
と悔いながら 
今もなお 過去を喰いながら生きている

現実を受け入れて生きていくほど
まったく人間ができていない
前向きにとか 切り替えてとか
簡単に扱う言葉が大嫌いだ

いつも本当に神様がいるなら
死ぬほど懇願して 一生に一度の願いを
魔法を使って叶えてくれるなら
タイムマシンに乗って過去へ戻り
やり直したい
映画「バックトゥザフューチャー」に登場するあの過去と未来を行き来するデロリアンに乗り込んで…
大人げなくこの50歳を過ぎた今に
より一層強く強く思う日々なのだ

自分を馬鹿げている 
真の馬鹿だとしか思えない

いつに戻りたいのか
自分は欲深く ひとつではない
まずは今から約1年前の7月へ
時を超え 自分を戻したい

それはあの初夏の猛暑の中
父の癌の再発を担当医から告げられた日

大学病院からの帰りの車内
いつもならニコニコ顔で筆談する父は
無口だった ずっと遠くを 
どこか先を見るように

毎月の定期健診でいつも
担当医から「大丈夫ですよ 安心してください 再発は見当たりませんよ」と言われ
ホッとした様子で帰りは頬舌になる父が
再発を知ったその日
死へ向かう者へとシフトしたかのように
呆然として 何か静かに宙を見つめていた

私は家路に着くまでの車中
「生きている間にやっておきたいことはないか」と父へ問うた
父は黙ったまま考えにふけるようにして
「お母さんと新婚旅行で行った福島の五色沼へ行きたい」と言った
続けて「お世話になったAさんが眠る佐渡へ墓参りに行きたい」と言った

私は即座に「行こう すぐに準備しよう」と返し「この小さな車では荷物も親父と母も運べない きっと車中泊にもなるだろう すぐに車を買い替える」と言った

翌日からネット検索で 寝たきりになるであろう父を乗せて移動可能なワンボックスタイプの車を中古で探した
それから二週間後には車種を決め普段から世話になっている車屋へ行き「すぐに中古で手に入れてくれ」と頼み込んだ
それから約2週間後 中古のワンボックスに乗り換えた

その車で福島へ行くことなく
父は逝った

早かった
予想をはるかに超えて

父は日に日に歩く力も弱くなり 
ほぼ一日を寝たきりで過ごすようになっても
真裏にある私のマンションの部屋に歩いてきた
ソファーに座り 静かに宙を見つめる父は
「福島と佐渡島が楽しみだ」と筆談で私に言った
続けて「箱根の金目鯛の煮つけが美味しいお店に行こう」
「港の見える丘公園のレストランでディナーを食べよう」
「お母さんとお前と三人で一緒に行こう」
と言った
私は「全部やろう 全部できる 簡単だ」と言った
「車さえあればどこへでも 何でもできる」
「例え親父が歩けなくなっても 立てなくなっても連れていける」と簡単に言い放った
そして私は
「あとは親父がまだ頑張って生きてくれ」
「生きてさえいてくれたら あとは何だってできるから」
「俺にまかせろ 大丈夫だ」と言った

父は安心して嬉しそうに
「よかった ありがとう」
「俺はもう電車やタクシーを使って乗り換えて福島や佐渡へ行く力はない」
「よろしく頼むな 楽しみにしている」
と私に筆談メモを書いて手渡した
その筆談メモは 今も私の手元にある

私はいつでもできると疑いなく思っていた
車は手に入れた あとは職場を長期介護で休むだけだと
担当医から告げられた見立ての余命はまだ先だ 大丈夫だ と思い込み 介護休暇を取るのが遅れた

父は見る見るうちに弱り 後がないと私は焦るようにして職場に介護休暇を申請して 在宅で父の介護についた
それからあっと言う間に二週間も経たずに
父は逝った

父と交わしたことは 何もできずに終わった
やらずに終わった 
できる 簡単だ まかせろよ と言った私は
何もせずに父を見送った

もっと早くお前が動いていたらね
馬鹿だね お前は
ほんとにバカだね
ともう一人の自分が言った

ぐずぐずしている間に みんないってしまうんだよ
そうやって いつでもできる 簡単だ
と思い込み 失って後悔して
取り返しがつかなくて もがき苦しんで
だからお前はほんとうにバカなんだよ
と嘲笑う自分がいた

「あの頃に戻れませんか」
「あの まだ父を車に乗せられる状態だった
あの頃にすぐ戻してもらえませんか」
「ダメですか」

タイムマシンのような
あのデロリアンのような
時を超える
過去へ戻れる乗り物はないんですか
どうしても福島と佐渡へ 
父と母を連れていきたいんですけど
ダメですか

私は今も 天に向かってよく尋ねる
でも当然どこからも何も返事はない

確かにあの頃 車を買い替えた頃
私は自身のお金も時間もすべて父に捧げてもいいとさえ思った
勢いというか エゴというか
傲慢さのような…

でも 時を逃した
答えは簡単だった
自分はただその時を決めれなかった
ただ それだけのこと
ふふふ…と また嘲笑ってしまう

デロリアンみたいなタイムマシンがあったら
時を超えることができたら
確かに父が生きていたあの時に戻り
父母が行った新婚旅行の地
福島の五色沼どころか 福島中を回りたい
存分に親父にその景色を見せて 
佐護へフェリーで渡って 安藤さんの墓参りをして 佐渡中を回って 飽きるほど景色を見せて回りたかった
そんな道中の親父の顔を見て見たかった
どんな表情をしていたんだろう
何でもすぐ心が顔に出る親父だったからね 僕と同じでね

親父は車で移動するのが大好きだったからね
助手席から外を眺める親父の横顔は
どんな横顔だったんだろう
それが今の私に一番気になることなんだよね

癌再発が告げられて以降も それから少しの間だけ
変わらず僕の車で大学病院へ通ったね
帰りに決まって親父は
「高速に乗らず 渋滞してもいいから一般道で帰ってくれ」と言ったね
わかっていたよ その意味は
親父はもう急ぐ必要はなかったんだよね

渋滞する東京を出られず ノロノロ運転する車から 親父は窓を開けて 両肘をつくようにして
窓越しから少し顔を出し 子どものように 楽しそうに外をずっと眺めていた
夕暮れ時の帰宅ラッシュで込み合う東京の町を ずっと子どものように楽しそうな顔をして眺めていた
僕はその親父の横顔を今も忘れない はっきり覚えている

福島と佐渡を走り回る道中
きっと親父は同じように窓を開けて
窓越しに両肘をついて 流れゆく景色を眺めていたんだろうね
僕はね その横顔を見て見たかったんだよ

そのためにもね
デロリアンみたいな
時を超えて
過去に戻れるタイムマシンが必要なんだ

ダメかね
やっぱりないかね
今更に時を超えて
過去に戻れる
何か方法は…


2024年7月9日



 



















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