「字は心を表す」ならつらいよ。
こんばんわ。←(昨日の昼から下書きで眠ってた記事ですが笑)
冬は早朝(つとめて)と言いますが、朝も勤めるのも苦手なぴちまるです。
でも平安時代のブログは大好きです。(*‘∀‘)
今回は、ふと日記を書いたり、noteの記事を考えたりしていたら、思い出したトラウマについて書きます。
①「字は心を表す」はトラウマ
これまで多くの人たちから、「心が汚いから、字をきれいに書けないのだ」「字は心を表す」とよく言われて
私「あ!すいません。昔から字書くの苦手で(;'∀')」
Aさんからのありがたいお言葉タイム
↑これが現実。
だけどちょっと妄想すると、
私「心、関係あります??言い過ぎですよー」
Aさん「そういう風に思われても仕方ないよってことを言ってるんだよ」
私「心を汚いとまで言ってくる人って、大抵、私のことを嫌いな人か、すごく攻撃的な人かのどっちかだと思います」
Aさん「将来、恥ずかしい思いをしないように、今言ってあげてるんだよ」
私「ありがとうございます。世間ってそういうものなんですね(=_=)」
これが関の山だよなー(´・ω・`)
たしかに、自分の心が汚いなと思うことはあったけど、綺麗だなと思うことのほうが多かった。←こういうとこが汚いと思われるのかな?笑
そんなこんなで「心が汚い」ということに対して、非常に敏感になった。
「心が汚い人に、心が汚いと言われてしまった。しかし、こちらは主観的な判断。向こうは文字のきれいさという客観的判断」
「明らかに根拠としては、向こうが上だ、、、。ぐぬぬ」(+_+)
「でも、海外にいたときは、私の書くキリル文字をきれいだという現地の方々がいた。日本では汚いのに、外国ではきれいなのか。」
とかなんとか、頭と心がオーバードライブ。
そして、たしかに、自分の字よりも、指摘してくる人たちの字の方が、綺麗に見える(笑)
②トラウマを乗り越えるために
そんなこともあって、本来相関性がないものをあるように見せかけて、人格攻撃をしてくる人に対して、過剰に反応するようになってしまいました。
HSPである私は、境界線がうすいので、「あーなんか言ってる。ま、いいや」ってなれないんですよね(;´・ω・)永遠に引きずるのです。ほんとに永遠に。
「寝たら大抵のことは忘れる」っていう人、そんなんなりたくないけど、楽そうでいいなあーって思う。
今は自分と相手とに境界線を張る訓練をしたり、パーソナリティ障害と人間の攻撃性について勉強しています。
私にとっては、どちらが正しくて、どちらが悪いのかということよりも、自分の、または相手の負の感情を、いかにブロックするかの方が、よっぽど大切だった(´・ω・`)
境界線について、カウンセラーの武田友紀先生は、相手との間に、透明なアクリル板があると思ってみようとのこと。
ちなみに、境界線とは、「相手との距離を保ち、他人を侵害したり、されたりしないために”嫌だ”と言って自己を守るための防御壁」のことです。(引用元は、精神科医長沼睦雄先生の「敏感すぎる自分を好きになれる本」です。)
これがないと、共依存や、共感を通り越した過剰同調に陥って、他人に振り回される人生になってしまいます。
苦しくなる前に、自分を知って適切な対処をしていくことは、かなり大切なことだと思います。手遅れになる前に。
③結局、文字はきれいに書けるようになったのか
平仮名と漢字をきれいに書くコツに関しては、結局気づくのが遅れてしまいました。
様々な目的や、気持ちに応じて、どのような文字を書くかについては自由なのだけど。
人に何かを伝えるために書く文字は、相手の読みやすさを考えて、丁寧に書いた方が喜ばれる。
そして、綺麗な文字と、丁寧な文字というのは別物で。
手が震えない程度にゆっくりと書けば、大抵は「丁寧」な文字になるということ。
大人になってから気づきました(笑)
いとあはれ。諸行無常。
違うか( ˘•ω•˘ )
↓慰めに、前回投稿のポエム読んでやってください↓