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暖かな光と共にある雨の恵みは源を豊かにし、残酷で矛盾極まれりこの世界に咲き誇る生命の糧

なぜ、全ての生命、人々が幸せになってはいけない。幸福を追求する権利がある、全ての命にある自分に対する主権。

我々は幸せになるために生まれ、今を生きるために存在してる。そんな簡単な答え、なぜ解らないのか。


自分を幸せにしたいから、他者も幸せにしたい、他者が幸せだから自分も幸せになれる。自分だけの幸せなど成り立たない、それが生命の循環作用。


幸せは搾取され別な者の幸福となり、その幸福はまた別な者の幸福に変わる。だから誰もが幸せを充分に感じてもいいし、今を自由に生きることを神に赦されている。



あなたが幸せじゃないなら、誰が幸せになれる。あなたが人を愛さないなら、誰が人を愛せる。あなたに優しさがないなら、誰に優しさがある。


自分に許しがないなら、誰が自分を許してくれる。自分が誰かを思いやらないなら、誰が思いやる気持ちを持っている。自分が誰かを嫌うなら、誰かも自分を嫌い、自分が誰かを偏見的な意識で見下すなら、自分も誰かに偏見的な意識で見下される。それが因果応報。


自分の幸せが少しなら、誰かの幸せも少しになり、愛の循環作用が成り立たない。



キリストはとても厳しいことを言う、こんなこと、とてもじゃないが簡単には行えない。

だから悲しくなる、あまりにも厳しい、とても辛くて過酷だけど、それでも優しい。途方もない優しさが籠められたアガペーの言葉がここにある。

そうなりたくても簡単にはなれない、なれないから辛くなる、苦しくなる。どんなに人を信じてもいつかは裏切られる、それでも許さなきゃいけない。凄まじい怒りが沸き起こっても抑えなきゃいけない、それでも簡単にはいかない。


優しさとは誰かに見せるためのものじゃなく、思いやる心から行える自然なる行為。

自分は、人を見てる。何々主義ではなく、その人間性を。許しなき人は必ず極端な左右に属して熱狂し怒りの言葉を広め続ける。


誰より知識があり優れてるとか、誰よりもルッキズムが良いとか、そんなのどうでも良くて、自分が見たいのは人の優しさ。それは見せるためのものではなく、自然に行える心からの思いやり、本物の愛が見たい。


どうして、左翼ではいけないのか、なぜ右翼ではいけないのか。どうして両方の翼を持とうとしないのか、誰もが黒と白の片方の翼だけで飛ぼうとする。



心が苦しいからって、いつまでも逃げていても癒されはしない。社会的な責任とか世間体など関係なく、まずはその心が明るく元気に幸せを求めて生きる事が大事で、その他の物事は二の次、後回しでいい。


政治論も、陰謀論も、ニューエイジ思想もスピリチュアルも、宗教教義も、哲学も科学も、全て二の次でいい。一番に重要なのは自分自身が幸福になること、それを求め今を生きること。


神とは52ヘルツの鯨であり、この耳には聞こえない、存在も見えないが確かにそれは古来から存在している。

この地球が誕生する前からずっと、見えないが泳ぎ、聞こえないが声を出している。我々にとってはそれが沈黙となるが、しかしそれを沈黙させているのは我々自身でもある。


どんな時も常に目の前に存在した。世界中の国や街が発展し、車や高層ビルなどの、コンクリートジャングルになっても。世界的な戦争が繰り返し行われていても、この世界が闇の中に包まれていても。


神はひたすら泳ぎ、52ヘルツの声を叫び続けた。我々には聞こえない周波数で、見えない次元で、哀しく寂しい孤独の中から我々に想いを伝え続けた。


どんな時も常に側にいてくれた。この愛の心として我々の心に寄り添っていてくれた。


どんな時も側にいてくれた。


バベルの塔の崩壊の時も、キリスト復活の時も、エジプト文明が栄えていた時も、どんな時でもずっと我々の側にいてくれた。それが我々には聞こえない、見えない神である。


人々はいつから、その自然の中に宿る愛を、神を忘れ去ってしまったのか。





本当の保守とは、人々の心を守る主義。人の心と存在があるから歴史や文化があり、発展や進化があった。科学も哲学も、思想主義も全ては人の心を守ってきたから存在してる。


民族主義などではない、最も創世記なる始まりから終わりを司る、その愛を守る事が本物の、正真正銘の真の保守となる。


最小ミクロと最大マクロが交わる場所、絶対領域0の地点、そこが神の領域であり、始まりであり終わりでもある場所。


13人の弟子と始まりの旅をし、33歳でコノヨヲ去り、復活したキリストは始まりから終わりの神道を歩いた。

我々もその道を歩かなければならない、本当の神道を見つけ、両方の翼を持ち、神の狭き赦しの門を潜り抜け天の国へと渡って行く。

神道たる天国への階段へと昇り行く魂。


2つに割れた石板は1つになり、神との約束、十戒は完成される。勾玉は陰と陽の太極図のように、互いを追いかけぐるぐると回り続ける。+と-はお互いを求め続け、万有引力の力によって引き寄せられ張力によって維持される。

過去と未来は永遠なる始まりと終わりであり、その動きこそが三位一体の流れをバランス良く保ったトライアングルとなる。


その声は聞こえない周波数の52ヘルツ。

その存在は黙視できない絶対領域0の地点にある別な次元の姿。


神は孤独に、今も我々を見て叫び、嘆き、哀しみ、苦しみ、憤り、慈しむ。


暖かな光と共にある雨の恵みは源を豊かにし、残酷で矛盾極まれりこの世界に咲き誇り、新しい生命の夜明けを待ち望む。


東西、左と右、ソドムとゴモラ、ゴクマゴク、その二極の獣によるウロボロスの中で永遠なる苦しみを背負いし世界で、我々は幸せを求め今を生きる。


全ての生命、人々は幸せになるために生きている、今を生きるために産まれてきた。


絵も音楽も詩も、全ての表現方法は神の心を思い出すこと。今は終わりとなり、始まりとなる新しい生命の夜明け、無限回転の動き。心の動き、振動、Movingは、神による愛の芽生えの奇跡となる。








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