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ベビーカーを押しながら夜のカフェのネオンに思いを馳せて。

9月の上旬、18時40分。


18時から砂場で遊んでいた息子をベビーカーに乗せて公園を出る。

最近は秋の匂いがしてきて、暗くなるのも早くなってきた。

夏から秋にかけて、ぎゅっとする切ない気持ちは昔から何も変わらない。


「あ、風が気持ちい」

ほんの少し肌寒くもなってきた。まだ夏はぎりぎりここにあるんだけど、すぐそこにある秋の訪れを感じながら、重くなった息子を乗せたベビーカーを押す。


この時期、私はあえて遠回りの大通りで帰る。

この時間は暗くなってきて、大通りに面したカフェのネオンが綺麗なのだ。

夕方から夜に切り替わる境界線が私は好き。

ほんの少し茜色が残っている空が黒に包まれる瞬間と、それに伴い周りのネオンがキラキラと輝く街並みを見渡しながらゆっくり歩く。

子供がいる私が唯一、夜を感じれるのがこの境界線。

もう少し経つと、完全に真っ暗になり若者や仕事終わりの男女たちでカフェのテラスは活気でいっぱいになる。

6時45分はまだギリギリ息子と私が外に居れる時間。


この少し微妙な時間は、これから訪れる夜の特別感を少しお裾分けしてくれる。

本当はもう少しカフェのネオンに思いを馳せたいのだけど、あと10分もすれば賑わう夜の街に、さっきまで砂場で遊んでいて少し服が汚れている私と息子が紛れるのは歯がゆかった。 

仕事と恋におしゃべりに夢中な若者にとって誰も私たちのことなんか気にも留めないのに、なぜか場違いな気がして、活気が訪れる前に、私はベビーカーを押した。



夜の中目黒。


それは宝探しみたいに何処かに楽しいことが待っている気がして、何かに期待して、初めて行くBarの扉を開いた時には、新しい自分の扉を開いたように、何かが手に入ったように錯覚して、次はあのキラキラしている扉を開こうかと、まるで地図を広げた子供のように友人と話をした。


20時に息子を寝かしつけする私にとって、歩いたら数分で行ける夜のネオンの街は一番遠くて、もう還れない街。

でも、だかといって砂場で遊べるような服ではなくオシャレをしてあの楽しそうな群衆に紛れて、テラスで友人とおしゃべりするのは
眩しすぎる。

私は夕方と夜の境界線でカフェのネオンに思いを馳せるくらいが丁度良い。

おしゃべりに夢中な人々を眺めては、この後どんな楽しい事が待ってるのかなと想像して、さらに重くなった息子を乗せたベビーカーを押して、まだついていた砂を払って、私もあの時した宝探しの日々を思いだす。



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