毒親だった記憶を塗りかえたくて。
34歳の頃、親孝行貯金が30万円に達した。
両親を東京に招待しようと26歳から毎月3千円を貯めていたのだ。
私はこのお金で父と母を思いっきり贅沢させてあげたかった。
「お金のことは気にしなくていいよ」
とある彼女をどうしても今日中に落としたくてシャネルでプレゼントを選ぶあの彼みたいに、 父と母の我儘を沢山聞いて格好つけたかったのだ。
振り返れば私の母へのプレゼントはいつも失敗に終わった。小学1年生の頃、おこずかいを貯めてスーパーでブラックチョコレートを買ってプレゼントしたら、ブラック味は嫌いだと目の前でゴミ箱に捨てられた。
高校生の頃、姉と私で母の日にレストランを予約していたのに母はドタキャンした。
「天気が悪くて気分が乗らない」
この理由を聞いた私達は開いた口が塞がらなかった。後日談によると両方とも直前に父と喧嘩して機嫌が悪かったらしい。
このエピソードはごく一部で、いつだって私と姉と父は彼女の人間的に未熟な性格に振り回されて生きてきた。
だけど、それでも母は不器用なりに私の事を愛してくれた。いつも愛してると私を抱きしめてくれて、歯科衛生士の学費を貯める為、人形の洋服を作って販売する仕事をしていた母はいつもミシンに向かっていた。
それでも相手の気持ちに寄り添えない身勝手な母は毒親の気質があるだろう。
だけど、なぜだろう?
大阪のパチンコにて、なけなしのお金で負けてくっそー!って叫ぶ前歯がないおっちゃんみたいに、不思議と嫌いになれない。
ねぇ、どうして?
なけなしのお金でパチンコをするの?貯めないの?歯の治療費に当てないの?そんな正論を言ったとしても、またなけなしのお金を嬉しそうに握って、パチンコをしてしまうのが前歯がないおっちゃんである。
泥臭くて人間味に溢れているおっちゃんのように、母を嫌いになれない私は里帰り出産のお礼もかねて東京旅行をプレゼントした。
結果は大成功。
プレゼントが初めて成功して、ほろ苦かったチョコレート事件の無念を果たせた私はあの過去を許した。
そしたら、心のもやがなくなりクリアな思考で息子に向き合えるようになったのだ。
持続可能な未来にする為に、まず母親のクリアな思考が必要だ。その思考が余裕につながり、我が子を愛せるようになるから。そして他人にも優しくなれて、世の子供の安心できる居場所に繋がると信じてる。
最後に訂正する、
私は母の事を愛しているのかもしれない。
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