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暇さえあればYouTubeとSNSとNetflixを延々ループしていた私が、スマホと距離をおいてみて分かったこと
まず結論から。
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ご覧の通り、ふと思い立ち、スマホを視界に入らないところに置き、必要最低限以外触らずに過ごした結果、これほどまでにタスクを消化でき、あらたな挑戦まですることができた。
今回は、スマホとの距離を考えたきっかけと、実際にどう行動したか、今日までの効果をお話したい。
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きっかけは、ぼんやり見ていたYoutube動画
「安価なドーパミンを摂取するな」
Youtuber「Paranoia_パラノイア【有益】」さんの言葉を聞いて、「痛いところを突かれた」という気持ちになった。
「安価なドーパミン」とは、苦労せずとも手に入る快楽のことだ。
SNSやYoutube、tiktokをはじめ、ジャンクフードやポルノなどもこれに含まれるという。
私には、身に覚えしかなかった。
私がスマホを手にしたのは高校入学と同時、つまり16歳の時。
中学まで本の虫だった私は、ずっとスマホが欲しかった。
世界最強の辞書・世界中の知識・多くの人とつながれる世界。
憧れのスマホ、同級生の輪の中にやっと入れるという安心、なにより、世界中の知識にアクセスできるという万能感に心からわくわくした。
すぐさまスマホにハマった私は、四六時中スマホを見るようになった。
検索機能だけでなく、Youtube、Amazon Prime Video、Instagram、Twitter、LINE Musicを登録し、情報に浸った。
徐々に惰性でYoutubeを垂れ流すようになり、多くの知識を求める、というより、「知識を得ている感覚になる」のを楽しんでいたのかもしれない。
今では、トイレに行くときも、お風呂の時も、移動中も、休憩中も、食事中も、すべてスマホを見ている。ごみ捨てに行くときも手放せないほどだった。
一方で、中学まで読んでいた本をほとんど読まなくなった。そのかわり、考え事するのもだるい、一日中眠い、活字を読むのがつらい、すべてが面倒くさい、ずっと動画を見て寝ていたい、と思うようになっていた。
そんな状態だったからこそ、「安価なドーパミンに頼るな」という言葉が強烈に響いた。
本来、ドーパミンとは何かを達成した時に出るものであるはずだ。
なのに、私はそれを簡単に出して、脳をだまして、簡単に気持ちよくなっている。だから、何のやる気も起きないし、こんなに怠惰なのかもしれない、と。
また、本を読まなくなってから、誤字脱字、言葉の誤用も増えていた。(もしかしたらこの文章にもあるかもしれない)
やはり、校閲されていない文章のみを吸収し続ける弊害が出ているようだった。
思い切ってスマホを引き出しの奥にしまった
通知が鳴らないように、機内モードにして、アラームも消した。
そこからはかなりの地獄で、いつも潰していた暇な時間に耐えられなくなった。動画を見よう、音楽を聴こう、SNS見よう、ネットサーフィンしよう、ができない。
落ち着かない、暇だ、暇すぎる。そうだ、机の上が汚いんだった、掃除しよう。
一旦掃除を始めると、すぐ片付いた。また暇なので、手あたり次第、片づけたかったもの、掃除したかった場所、乱れたものを整えていった。
軽く達成感を感じたが、それでも暇だった。ふと、本を最近読んでいないことに気が付き、古本屋へ向かった。そこでまた別の用事を思い出し、片づけたりもした。
街を歩くと、普段はヘッドホンで聞こえない音や、歩きスマホで見えなかったものが見えて、いつもの道がかなり新鮮に感じた。
帰宅後、購入した本を読んだ。最初は文章が上滑りして、脳が活字を受け入れるまでに少し時間がかかったが、しばらく読み進めると以前を思い出したように、スルスルと内容が入ってくるようになった。内容が入ってくると、新たな発見や、感情の動き、これまでの経験との結びつきがあった。整理するために付箋を出して、貼りながら所感を書いていった。楽しくなってきて、いつの間にか半分読み終わっていた。少し飽きたので、別の本も読みだしたが、それも気づいたら2/3ほど読み終わっていた。
なのにまだ夕方だった。だらだらと動画を見ているときより、明らかに充実度は高い、それなのに時間の進みが遅い。
おなかが空いたのでご飯をつくることにした。普段はお惣菜とごはんですませたりもするが、その日はもう少し凝ってみることにし、ハヤシライスを作って食べた。
スマホを見ずに料理するのは久々で、野菜の切れる触感や音を楽しんだり、ぐつぐつ煮える鍋を見つめながらぼんやりした。スマホを見ずにご飯を食べるのも久々で、いつもよりおいしく感じたし、少な目で満足した。
本を読むのも少し飽きたので、noteを始めることにした。PCなら長い文章も打ちやすい。軽く書き始めると止まらなくなった。もしかして文章書くのもすきなんだろうか。
夜、さすがに連絡を返そうと思いスマホを開くと、メルカリで商品を購入してくれた方がいた。急いで梱包し、発送に向かった。ついでに、越してきてから一年以上放置していた自転車に空気を入れた。
この通り、スマホと距離を置いたことで、自分でも驚くほど生産性が上がった。本当にびっくりした。
これまでずっと先延ばしにしていたことが、一日でかなり片付き、達成感も得て、なんだか身も心もすっきりした気分だった。
というわけで、そのまま継続
続けてみると、以前より、動画を見たい、音楽を聴きたい、という気持ちが減った。たまに欲に負けて見たとしても、前ほど興味が湧かない。それならあの本の続きを読みたい、これを片付けたい、と思うようになった。
本については、読み進めるたびに新しい発見があるので、余計に、「これをしよう」「あれがしたい」という気持ちになるのもありがたい。
さらに、2日目の夜から、早い時間に眠くなるようになった。Youtube等で目を酷使していないからだろうか。
また、なんにでも意欲的に取り組めるようになってきた。これまでやりたかったこと、腰が重かったことが片付いたことで、「これくらいならすぐできる」「いったんやってみよう」と思いやすくなったのかもしれない。
【まとめ】スマホと距離をおくと、脳が能動的になる
スマホと距離を置くことで、以下のようなサイクルが生まれ、かなり生産性がアップした。
ぼんやり出来て脳が休まる
暇なので手当たり次第に物事が進む
達成感とともに心地よい眠気が来る
朝早く起きられる
時間ができるので新しいことに挑戦でき、また物事が進む
中でも、「達成感を得られる」というのは大きなメリットだ。「今日一日でこれだけのことをした」というのを続ければ、恐らく大きな自信につながっていくはずだ。
ここまでより、スマホと距離を置くと、「脳が能動的になる」といえるのではないか。
「安価なドーパミン」であるスマホは、私が何もしていなくても、無限に情報を提供してくれる。それも、私の興味に従ってレコメンドされ続ける。
一方、それを失うと、受動的なだけでは楽しみは降ってこない。仕方ないから能動的に行動してドーパミンを得るしかないのだ。本も受動的なようで、買いに行く、活字を読む、ページをめくる、書き込むなど、能動的な部分も多い。
結果、「ああ、今日も動画だけを見て何もしなかった」と落胆したり、自分を責めることがなくなり、「今日もこれだけやった!」という達成感を得られたのだろう。
今後も、無理せず程よく、スマホと適切な距離を測りながら生活してみるつもりだ。
みなさんも、一度騙されたと思って、スマホと距離をとってみてはいかがだろうか。