マガジンのカバー画像

エジプトの輪舞(ロンド)

27
運営しているクリエイター

#世界史

「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰

「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰

  ~1952年7月23日のエジプト革命から72年後の日の投稿にて~

今年2024年は、ユダヤ系チェコ人カフカの死後百年目を迎える年です。エジプトのチェコ大使館では、外壁にカフカの絵いくつもが飾られました。(2024年3月6日から5月3日)

 北京のチェコ大使館では、カフカ死後百年を記念するイベントにイスラエル大使館とオーストリア大使館も協力しました。

 チェコ大使館単独でやるよりも、予算や

もっとみる
チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯

チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯

 ウィーンの街を初めて歩いていた時、貴族のようなクラシカルな帽子がショーウィンドウに陳列された帽子屋が多いことに、目が留まりました。

ボヘミアの赤いトルコ帽 帽子といえばですが、オスマン帝国トルコとその領土ではおなじみの赤いトルコ帽子の生産地は、AH(オーストリア=ハンガリー帝国)のボヘミア地方でした。

 この帽子が生まれたのには、こんないきさつがありました。

 1826 年、スルタンのマフ

もっとみる
もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮

もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮

 ヘッダー画像は1938年の映画「スエズ」より。宝塚っぽいですが、宝塚ではありません。

 時は1860年代。紙芝居のようなテロップが画面に流れます。
「オスマン帝国のプロヴァンス(州)・エジプト」

 往年の大スター、タイロン・パワーがフランス人外交官のフェルディナン・ド・レセップス役です。ばりばりの米語を話し、ものの見事にフランス語は口にしないフランス人外交官です。

 ナポレオン三世もウジェ

もっとみる
1905年のカイロ〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅵ〜LOLOのチェコ編⑭

1905年のカイロ〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅵ〜LOLOのチェコ編⑭

  昨年の2023年のラマダンの時です。

 カイロのアブディーン宮殿では初の「ロイヤル・ダイニング」イベントが開催されました。

 宮殿の壮大なダイニングホールで生演奏のオーケストラとともに豪華なイフタールとスフール(ラマダン中の食事)が提供、イベント参加者は断食明けには宮殿見学ツアーにも案内されました。初めての試みです。

 何度も恐縮ですが、1952年のエジプト革命でこの宮殿は大統領官邸にな

もっとみる
見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬

見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬

〜最初に

 今回の記事後半の「1893年シカゴ万博」における、オーストリア・ハンガリー帝国の建築家の二名、マックス(ミクサ)・ヘルツとエドゥアルト・マタセクの手掛けた「エジプト・カイロストリート」にかなり力を入れて書きました。

 よってどうか後半のその部分だけでも、読んで欲しいなあと思います。

 エジプト君主もスポンサーも現場には一切口を挟まず、二人の建築家を信じすべて任せました。これこそ、

もっとみる
「ベルエポック時代のエジプトに住んでいたんです」〜チェコ人建築家ヤン・レッツェル(原爆ドーム)シリーズⅠ〜LOLOのチェコ編⑨

「ベルエポック時代のエジプトに住んでいたんです」〜チェコ人建築家ヤン・レッツェル(原爆ドーム)シリーズⅠ〜LOLOのチェコ編⑨

「一応、観光ガイドのライセンスも取っておいた方がいい」

 ある時、突然勤め先の撮影会社からそんなことを言われました。
 確かに、撮影に同行する制作会社の社長や局のおえらいさんの街案内もしていたので、何かの時を考えるとライセンスを持っているほうがいいに越したことはありません。

 ライセンスは賄賂だがコネで簡単に取得できる、とのことでしたが、それでも
「しっかりガイドを出来ないと、日本から来る肝心

もっとみる
ユダヤ系ハンガリー人建築家が復活させたカイロのイスラミック地区

ユダヤ系ハンガリー人建築家が復活させたカイロのイスラミック地区

  まずは感謝です。かわい いねこ さんは私がNOTEを始めた初期から繋がっている方なのですが、プロフィールに書かれておられますとおり、視力障害をお持ちだそうです。かいわさんの記事を拝読しますと、様々な「気付き」を教えていただき、非常に勉強になり考えさせられ、また励まされています。
 そのかわいさんが、「エジプトの輪舞(ロンド)」を記事に取り上げてくだ
さいました。感謝感激です。そんなかわいさんに

もっとみる
サラヤ・アブディーン(アブディーン宮殿)ー全ては黒海地方出身美人姉妹から始まる

サラヤ・アブディーン(アブディーン宮殿)ー全ては黒海地方出身美人姉妹から始まる

 いつも世界中の素晴らしい音楽や書物、プロ並みの手料理などNOTEでご紹介されている島村徹郎氏が「エジプトの輪舞(ロンド)」を記事に取り上げてくださいました。優しいお方です。そんな慈悲深い島村氏にはオスマン帝国からはベイの称号と、エジプト王国からはパシャ、イギリスからも特別にナイトの称号を差し上げましょう。

 さて、トップ画像はMBCエジプトが2014年に製作した「サラヤ・アブディーン(アブディ

もっとみる
エジプトのホテル王だったスイス人実業家

エジプトのホテル王だったスイス人実業家

  エジプト観光に行くと、数千年前の神殿と墓の説明ばかりですが、実は近代の建物も非常に興味深く、特にチャールズ・ベーラーの名前をぜひ知っておくといいと思います。

 スイス実業家チャールズ・ベーラー(1868 - 1937、 Charles Baehler )はエジプトのホテルと不動産チェーンの創設者兼所有者、国の中心部にある最も有名な回廊、建物、ホテルの所有者でした。この人物のおかげでエジプトで

もっとみる
「ネフェルティティの胸像を返して!」 エジプト国王のベルリンとイギリス訪問(1927)

「ネフェルティティの胸像を返して!」 エジプト国王のベルリンとイギリス訪問(1927)

 「エジプトの輪舞(ロンド)」で少しだけ触れたのですが、1927年に(ドイツが不当に持ち去った)「ネフェルティティの胸像」の返還を求めて、当時のエジプト国王(ファルークの父親)がベルリンに乗り出しました。
 ここまで盛大におもてなしをしておいて返さなかったという、その時のベルリンの写真です。

  ネフェルティティの胸像とはツタンカーメンの黄金のマスクとギザのピラミッドと並ぶ古代エジプト三大代表作

もっとみる