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仏教学専攻博士前期課程修了、初期仏教研究者 ラノベで楽しくブッダの知の世界を彷徨います。

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仏教学専攻博士前期課程修了、初期仏教研究者 ラノベで楽しくブッダの知の世界を彷徨います。

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  • 涅槃湯

    阿含経と倶舎論をベースにしたブッダの知をもとに、AIが仮構したあの世の仮想現実をブレイン・インターフェイスとして合体。自殺未遂の末に仮死状態に落ちた妹を取り戻す旅にでます。

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小説 涅槃湯 03

等活地獄(地獄の永久機関) ふたりは、すり鉢状に穿たれた大地の縁に立っていた。 すり鉢は赤黒い霧に覆われて大きさも定かでない。空は濁った墨のように暗かった。アナンはお構いなしにどんどん降りていく。ダンも後を追うしかなかった。しばらく岩だらけの急な斜面を進んだ。なだらかな段丘にでると、玉虫色のダブルの男がとぼとぼと先を歩いていた。そこにひとりの髪の毛の薄い若者が飛び出した。手にはナイフを持っている。ダブルの男は若者を睨み付け、すぐさま跳びかかっていった。若者の少なめの毛髪をむ

    • 小説 涅槃湯 11

      四天王親睦会 ダンは毘沙門天の背に乗り夜空を翔けた。訪れたのは須弥山北側の中腹に突き出た庭園だった。この苑林の中央部には、二百八十キロ四方の広大な池が広がる。その池のほとりに人間向きにあつらえた東屋がある。満天の星空に煌々と丸い月がかかり、池には微光を放つ色とりどりの水蓮が咲き乱れていた。すでに人間の武将姿に化身した持国天、増長天、広目天の一行が席についていた。四天王のリーダー格は毘沙門天であり、彼が心中で庭園に行こうと思うだけで、みな側近を引き連れて参集するのだ。 「さあ

      • 小説 涅槃湯 10 第二部 天上篇 あの世とこの世の中間地帯 

        炎陽に焦げつくような都会のアスファルトを離れ、ダンはいつものように、ひんやりとした天眼マシーンに横たわった。妹を探して、地獄世界を一通り探索したダンは、つぎに天上世界のモニタリングを始めることになったのだ。 女性の自動音声が柔らかに響く。 「地球の直径が一万二千七百キロ、その四十四倍の標高をもつ須弥山山頂に三十三天の宮殿は位置しております。これは地球の大きさを三十センチと致しますと、天界の宮殿は、そこから約十三メートル上空という計算となります」 つまり、ご近所のおばさんが育て

        • 小説 涅槃湯 09

          あの世へ飛翔する栄養素 ある日の早朝、ダンとアナンはブッダが悟りを開いたという、ウルヴェーラーという土地に来ていた。ウルヴェーラーは古くからさまざまな修行者たちが集まるガヤーという聖地の近郊にある。ブッダが悟りを得てからは、ブッダガヤーとも呼ばれるようになった。近くにはネーランジャラーという川が流れている。雨期になると氾濫することもあるが、普段は穏やかな表情で水量もさほど多くない。ブッダはここで沐浴し、スジャーターという娘から乳粥の施しを受けた。そのときブッダは六年間の苦行

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        小説 涅槃湯 03

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        • 涅槃湯
          10本

        記事

          小説 涅槃湯 08

          あの世の偏差値 「さて、きみの死に際のSFCの結果だが、利己スコア3.5。利他スコア1.5。SFCは-2」 「なんですか、そりゃ?」  そこは、デス・ラボにあるヴァルツ博士の研究室だった。 「SFCってのは、わたしの創案でスピリチュアルフライトコンディションという。あの世をフライトするための精神状態を数値化したものなんだ。まず精神状態を、利己と利他の傾向に分析する。利己の傾向として、貪り、怒り、自己中心性などがある。利他の傾向としは、慈しみ、憐み、平常心などがあり、それぞれ

          小説 涅槃湯 08

          小説 涅槃湯 07

          あの世への旅行 「お兄ちゃん!」 ふいに後ろから声がして振り返ると、その声の主は未海だった。 「お前、なんで?」  サロペットスカートの未海は相変わらずの可憐さだが、ダンを心細そうに見つめるのだった。 「お兄ちゃん。わたし死んだの?」  「死んでなんかないよ!」  ダンは思わず妹の手をとろうとしたが、虚しく空を切るばかりだ。 「お前はデス・ラボという研究所で意識回復の治療中だ」 「お兄ちゃん。ごめんね」  その声をあとに、未海の姿は目の前で墨色の影法師のようにかすんでいった

          小説 涅槃湯 07

          小説 涅槃湯 06

          再会 デス・ラボの当初の目的は死後の分析に詳しい初期仏教の論書、倶舎論をもとにAIを駆使してあの世の世界をリアルに再現することだった。しかし、じつは、天眼マシーンは予想もしなかった次元の世界を開くことになった。天眼マシーンはひとの深層意識までアクセスできるブレインインターフェイスである。深層意識にアクセスることで、深層意識が認識している世界への展望がいきなり開けたのである。それは、個の大脳組織を超えて、他者の大脳と交信することを可能にし、深い夢の領域が織りなす迷路を超えて、

          小説 涅槃湯 06

          小説 涅槃湯 05

          ブッダの霊魂論 ブッダは無我を説いたとされる。無我とは、常住普遍のアートマン(自己主体)があるという形而上的な見解を否定し、ただ、条件の寄せ集めにより一時的に自己が存在するという考え方だ。 だから、死後の自己はもちろん無く、死ねば虚無となるという説が、ブッダの主張であったとする学者もいる。 しかし、死後ばかりか、前世のありさまについて、阿含経、パーリ聖典をはじめとする初期仏教は雄弁である。 無我を説きながら、なぜ輪廻転生を説くのか? そのような疑問を抱く人々がブッダの在世時

          小説 涅槃湯 05

          小説 涅槃湯 04

          魂の行方 ダンは夢のなかで久しぶりに妹、微笑む未海の眼差しに触れた。 彼女が自殺未遂のはてに植物状態になってから三か月が過ぎようとしていた。 十二も歳の離れた妹で、東京の美大を目指して入学試験を受けに来たときは、彼女をアパートに泊めたことがあった。久しぶりに食べた妹のパエリアは相変わらず不味かった。 未海は美大に見事合格し、夢だったデザインの勉強を始めた。引っ込み思案だが、兄とは似ても似つかない可愛らしい容姿で、勝手にミスコンにエントリーされていたと聞く。その後も、キャンパ

          小説 涅槃湯 04

          小説 涅槃湯 02

          燃え上がる河  娘たちがレンガ造りの礼拝堂に向かって花束を捧げていた。肩越しに長く垂らしたサリーが翻り、華やかに刺繍飾りが煌めいた。風に乗って女たちの詠唱が聴こえる。気がつくとダンは空中から彼女たちを見下ろしていた。 「この村の娘たちだよ」 すぐそばでアナンの声がした。彼もまたダン同様に空中に浮かんでいた。 「きみは村の霊園の上にいるのだ」 しかし眼下では、もうひとりのアナンが脚を組んで禅定に入っている。木陰で寝そべっている男は、Tシャツとジーンズの、どうみても自分

          小説 涅槃湯 02

          小説 涅槃湯 01

          第一部 地獄篇 死後の仮想世界 ある冬の朝、ダンはアパートの部屋で独り毛布にくるまり、クレーン車のエンジン音を聞いていた。断続的にウインチのモーターが唸るような音を立てている。近所でマンション工事が始まったのだ。ついに根負けして、眠い眼を擦りながら起き上がると、ショットグラスにジンを注いで一気に呑みほした。火酒の効き目で調子を取り戻すと、バイト探しのネット検索を始めた。これが青年の日課である。 エリアを東京に絞り、週休二日、未経験可、服装自由、高収入と、都合のいい条件に

          小説 涅槃湯 01