冷蔵庫に1年以上置いたままのレッドブルが僕に翼を授けてくれる
人は、やってしまったことよりも
やらなかったことを忘れられずにいる生き物であると思う。
一人暮らし2年目が終わろうとしている。
僕は普段、エナジードリンクは飲まない。
それなのに僕の家の冷蔵庫にはレッドブルが一本入っている。
買ったのはたぶん2年前。
一人暮らし1年目の秋頃だったような気がする。
このレッドブルは、
当時の職場の上司に渡そうと思って買ったものだった。
レッドブルを飲まない日はないんじゃないかというぐらいに、彼はレッドブル常飲マンだった。
渡しそびれたレッドブルは
1年以上経った今も、僕の冷蔵庫の中で眠っている。
べつにわざわざ渡さなくてもよかったものだった。
学校という職場には、ほとんど存在しない休みを返上して遠出をする “遠足の下見” という文化がある。
学年の担任団で、レッドブル先生の車に乗り込み下見へと向かう。
途中渋滞に巻き込まれながらも、往復2時間の下見を終えた。
今、家にあるレッドブルは、
運転のお礼を込めて渡すつもりだったもの。
こんな書き方をすれば、
この上司に何か不幸があったのかと思われるかもしれないが、全くそんなことはない。
きっと今も健在だと思う。
渡せなかった理由は単純で、
その上司と話すのが苦手だったから。
え、でもレッドブルぐらい渡せばいいじゃん
と思うだろう。
今これを書いている自分でも思う。
でも、当時の僕にはそれができなかった。
それだけのことが難しかった。
今なら渡せるかもしれないけれど、
だからと言って今渡しに行くのはたぶん違う。
渡していたら何か変わったかといえば
何も変わらなかったと思う。
もし何か変化があるとするならば、
僕がもう少し彼のことを忘れていたんじゃないだろうか。
仮にそうだとすれば、
このレッドブルは渡さなくてよかったと思う。
僕が今ここにいるのは
奇しくも悔しくも彼に追い詰められた過去があるから。
もちろん、それは彼の行為や言動によるものではなく、
僕の未熟さからくるもの。
今の自分ならもう少しちゃんと向き合えただろうと思う。
彼はとにかく、自分にも他人にも厳しい人だった。
初任とかそういうのは一切度外視で、
全員平等に容赦の無い人だった。
子どもを第一に考える素晴らしい先生だった。
僕はそんな彼から逃げた。
でも結果として、今こうして僕なりの向き合い方で
レッドブルについて書くことができている。
おかげさまで今、
僕は新しい道を歩み始めている。
渡しそびれた “ありがとう” は
いつか何か別の形で届けることができるだろうか。
RADWIMPSというバンドが
「白日」という楽曲を歌っている。
3月11日の震災後に出した曲らしい。
幸運なことに僕が渡しそびれた相手は今も健在だ。
でも、このレッドブルはやっぱり
渡しそびれたまま、このままにしておくことにする。
年度末に職場を離れるとき、
苦手だった彼に頭を下げて感謝を伝えた。
「いろいろあったけど、
学年のためによく頑張ってくれた」
そんなことを言われた気がする。
少し自分に甘いかもしれないが、
僕はこれで十分だろうと思っている。
僕はレッドブルは飲まないけれど、
この渡しそびれたレッドブルは
僕にとってのやる気の源だ。
見るだけで彼を思い出し、
気合いが入る。
白日を歌った翌年、
RADWIMPSは同じ日に「ブリキ」という曲を出した。
僕の力で運命を決める日がきて、
それは少なからずこのレッドブルも影響している。
人は、やってしまったことよりも
やらなかったことを忘れられずにいる生き物であると思う。
やらなかったことは後悔でもあり、
エネルギーの源でもある。
一人暮らし2年目が終わろうとしている。
僕は普段、エナジードリンクは飲まない。
それなのに僕の家の冷蔵庫にはレッドブルが一本入っている。
冷蔵庫に1年以上置いたままのレッドブルは、
やらなかったことの象徴であり
僕を奮い立たせてくれるお守りでもある。
こいつをいつ飲んでやるかは、
また今度考えることにしよう。
2022.2.7 共鳴|社会人1年目のターニングポイント