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文章とAI、上司と「決めつけ」のお話。(要するにまとまっていない)

書き終わった私から先に一言。
今日の記事はまとまりがないです!🤣



こんばんは。
やっと、やっと記事が書けました!

とはいえ、書く時間はあったので
自分の気力次第だったのですが。(笑)

どうしても文章をうまく書こうとしてしまって
なかなかパソコンを開けずにいました。

そんなの、きっと気にしなくてもいいんですが。
というか自己満足の世界な気がする🙈


気持ちはまだ上がってきていないのですが、
とりあえず仕事はできている状況です。

かなりペースを落としながら仕事をしているので
なんというか、充実感がない。

前までは「バリバリやってるぞ~」って感じで
自己効力感が高かったんですが。

今はできることが少なくなって、
「このままでいいのかな……」と
ずっと不安を抱えながら仕事している感じ。

とはいえ、「バリバリやっている」っていうのは
きっと私の気持ちの持ちようの話で。

当時はかなり疲労がたまっていたので
大した仕事はできていなかったんだろうなあ、
なんてシビアな評価をしていたりします。(笑)

最近はもっぱら読書に耽っていて。
図書館で本を借りてきては、読んで返して。

また借りてきては、読んで返して。
……を繰り返しています🤣

近くに図書館があるのは本当に便利。
今度もし引っ越すってなっても
図書館の近くがいいなって思うくらい。

先週は伊坂幸太郎さんの「逆ソクラテス」
今週は千早茜さんの「西洋菓子店プティ・フール」

この2冊を読み終えました。
私にしてはすごい早いペース。(笑)

前までは一ヶ月に2冊くらいだったのが、
今では一週間に1冊ペースになっています。

読書って、びっくりするくらい苦にならない。
ちなみに今は平野啓一郎さんの
「私とは何か 『個人』から『分人』へ」を読んでいます。

落ち着いたら感想をnoteに書きたいところ。

私は読書をするとき、
必ずスマホにメモをしながら読みます。

最近はメモの量が多すぎて、
もはや本を読まなくてもメモを読めば
内容が分かってしまうのでは!?
というくらいの分量を書いています。

これじゃ要約になっていない?と思いつつ、
インプットからのアウトプットが大切!って
樺沢先生もよく言ってるし、まあいいか(/・ω・)/

仕事を休んだのが先々週のできごと。
それ以降、私の口癖は「まあいっか」

本当は心の中では納得できていなくても、
意識的に「まあいっか」と口にするようにしています。

ただ、ずっと気分が晴れないままなので
スリー・グッド・シングスを再開しようかな……

でもこのタイミングで新しいことを始めるのは
それはそれで気が重いかも、と思ったり。

とりあえず読書を楽しめているだけ、
気力と体力はあるんでしょうね。

無理に気持ちを上げなくても「まあいっか」。
今はなりゆきを見守りたいと思います。


そういえば、会社でありがたいことに
リスキリングの講座を受けることになり。

RPAや生成AIなど、現代の技術を
仕事に活かす勉強を始めることになりそうです。

なぜ私が選ばれたのかはよく分かりませんが、
これを良い機会だと思って色々学びたいな。

生成AIの発展はすごいようで、
例えばこういう文章を作ってくれるAIも
どんどん進化しているようですね。

いずれ、小説もAIが書くようになるのかしら。

もちろん、情緒とか表現とか
そういう人間の「感性」の部分は
人間が担うと思うのですが。

基本的な題材や枠組み、
ストーリー展開などはAIが作っていく。

そんな社会がもうすぐそこまで来ているようです。

こういうnoteの世界にも、
AIが入ってきたりするのかな。

もしかして、私が知らないだけで
既に活用されている方は多いのかも?

正直言って、私は「人が書いた文章」が好きです。
だから、AIに偏見を持っているところもあります。

学習が蓄積していくとはいえ、
本当に人間と同じような文章が書けるのだろうか?

表現の幅が狭くなったりしないのだろうか?
単調で簡単で分かりやすい文章が
たくさん作られていくのではないだろうか?

こういう表現もできるんだ、
ああいう表現もできるんだ、
ああ、この表現好きだなあ。

そういう情緒が感じられる文章を
AIが書ける時代が来てしまうのだろうか。

だとしたら人間は「何を書くべき」なのだろうか。
色々な不安や疑念を抱いているところがあります。

でも、そういったことも今の時点は憶測で。
結局のところ使ってみないことには、
その良さも悪さもきっと分からないだろうから。

まずは学んでみて、触れてみようと思います。
批評するのはその後でしょ。なんて。


私自身、人間の「決めつけ」があまり好きじゃありません。
例えば、私の上司は割と人を「決めつける」方。

この人はこういう人だ、あの人はああいう人だ。
自分の中でレッテルを貼ってしまう方です。

それがすべて悪いとは言いませんし、
当たっている時だってあります。

でも、所詮、人間は人の一面しか見ることができない。

仕事の時のAさん。
友達と遊ぶ時のAさん。
親といるときのAさん。
兄弟といるときのAさん。
結婚相手といるときのAさん。

果たして、Aさんは同じでしょうか?

いや、仕事では自分をよく見せているだとか、
家ではだらけているだとか、
そういうことを言いたいのではなくて。

あなたが見ているその人は
本当にその人のすべてですか?

と問いたくなるときがよくあるのです。

例えば、仕事をしているときの私と
夫と過ごしているときの私はまるで別人です。

仕事の電話に出ている私を見て
夫はかなりびっくりします。
めっちゃしっかりしてるじゃん!って。(笑)

まあ、それくらいに私はプライベートでは
全然しっかりしていないのです。

逆に言うと、仕事の時の自分は
気を張っているのかもしれませんね。

だからと言って、私は私を区別しません。
仕事の時の自分も自分だし、
夫と過ごしているときの自分も自分。

そう考えた時に、仕事で接している人の姿を見て
この人を「こういう人」と決めつけるのって
何とも視野が狭いな、と思いませんか?

私はそう思います。

なんというか、人間に深みがないと思ってしまいます。
考えが浅いな、と思ってしまいます。

あれ?もしかして上司のことを
すごく悪く言っている……?

そこは素直にごめんなさい。(笑)

でも、そうやって人を「決めつける」のは
私にとって本当に苦手なことなんです。

だから、私は必要以上に距離を詰めない。
いや、正確には距離を詰めなくなった。

前までは評価が欲しくて、
むしろ自分もその考えが理解したくて
歩み寄ろうとしていたのですが。

やっぱり他人は他人。
どこまで行っても他人なんですよね。

他人同士だから考えていることも違う。
持っている信念も価値観も違う。

そこを無理に近寄って
合わせようとしなくてもいいんだな。
最近はそんな考えをするようになりました。

これが夫相手となるとそうはいきませんが。

長く一緒の時間を過ごす相手とは
信念や価値観を共有していくと
それだけお互いにとって
過ごしやすい時間を作れると思う。

ましてや、家族という一つのつながりを
形成していくのであれば
その方向性はお互いに擦り合わせていくべき。

ですが、仕事の関わりだけなら、
信念や価値観まで共有する必要はない。

わざわざ擦り合わせる必要はない。
擦り合わせなくても、利害が一致すればいい。

すごく現実的なことを言っているかもしれませんが。

所詮は雇う側と雇われる側。
目指すところが同じじゃなくて当たり前。
考えが違って当たり前だと思うんです。

だからこそ一緒に仕事する意味があるし、
組織を作る意味があると思うんですよね。

色んな人がいてこそ、
色んなことに対応できるはずだから。

まあ、上司がそこまで思って
部下と接しているかどうかは分かりませんが。

信念や価値観は違っても、
従業員の役務提供と雇用主からの役務提供の対価が
バランスがとれていればそれでいい。

なぜこんなに現実的なことを考えるようになったのか
自分でもいまいちよく分かりませんが。

私はそう割り切ることにしました。
いや、そう簡単には割り切れないけど!(笑)
割り切れるようにしようと思いました。


あれ、何の話してたんだっけ?😐

とりあえず、先進的な技術を学んで
自分のものにできるように頑張ります!

いや、頑張るんじゃなくて。
自分が楽しめる範囲で楽しみます。

上司の期待とか評価はそっちのけで。
ゴールはとりあえず分かったので
そこまでの道をどう進むかは委ねてもらい。

私はありがたく学習の場をいただきたいと思います。
今日はなんだか、乱暴な記事になってしまいました。

もしかすると、上司に怒っているのかもしれません。
まあ、たまにはそんな日もあるよね。

今日は大好きなBREWを飲んで、寝たいと思います。
今日も生きただけで自分偉いぞ、ということで。


なんだかまとまりのない記事ですが今日はこの辺で!
明日も暑い日が続くようなので、ぼちぼち行きましょう。

それでは、また近いうちに記事を更新します。
いつも読んでくださるみなさま、ありがとうございます。


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