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頑張りすぎる人が報われる社会を作るにはどうすればいいのか。

真面目って生きづらい。

昔から真面目だね、と言われてきた。
その度にむっとした。もやもやした。

なぜならそれはまるで
真面目であることが"馬鹿らしい"かのような
ニュアンスだったから。

もちろん、相手にそんなつもりはなかったと思う。

むしろ私がそのように受け取るってことは
自分自身、真面目であることが嫌で、
要領が悪くて、融通が効かない、
と思っていることの裏返しなのかもしれない。

この、真面目を克服しようとした時期もあった。
もっと責任を放棄して、なるべく耳を塞ぎ、
周りを見ないようにして避ける日もあった。

でも、決まって
それは上手くいかなかった。

逆に責任を放棄することに
真面目になりすぎて(今だからそう思える)
思いやりのない人になり、
人から反感を買うようになった。

私は真面目を辞めることをすぐに辞めた。

自分が生まれ持った気質なのか、
はたまた環境から影響を受けたものなのか、
そんなことはどうでもよくて。

ただ、結局は真面目な自分と
付き合っていくしかないのだと気付いた時、
私は人生に絶望した。

これからもこんな自分で
生きていかなきゃいけないのか。
たくさんではないけど、少し絶望した。

そんな真面目すぎる私は
適応障害になった。

会社に行けなくなった。
みんなが働いている時間に
布団の中にうずくまり、
実際にも心情的にも暗闇の中にいた。

いつ抜け出せるかも分からず、
貯金はあっという間に底をつき、
生きているだけでお金がかかる
自分という生き物を呪った。

ただただ消費されていく毎日に、
時間に、お金に、食べ物に、排泄に、
自己嫌悪して消えたくなった。

この世から自分を消せるスイッチがあるなら、
痛みを伴わずにこの世から消えることができるなら
迷わずそうしたい、と思った時期があった。

でもやっぱりそうはいかない。
自分には消えてなくなる勇気もなかったし、
なんなら当時はそんな気力すらなかった。

人生に絶望した後に、
生きていかなければならない事実に
更に絶望した。

あれから1年以上が経った。
今の私が何か変わったかというと、
大して変わっていない気はする。

相変わらず真面目だし、
頑張りすぎるし、生きづらいし。

それでも、前ほどの落ち込みや
燃え尽きてしまうことや
会社を休むことがなくなったのだから
ほんの少し、変わったところはあるのだろう。

以前よりも、とにかく自分を
責めないように"頑張って"いる気はする。

不完全な自分でも会社にいていい、
誰も私には注目していない、
一日くらい仕事のパフォーマンスが悪くても
気付けばちゃんと期限に間に合ってる。

なんだ、自分、できるじゃん。
小さな"できる"を積み上げている。
小さな"できる"を取りこぼさないように
"頑張って"拾い上げている。

結局のところ何が言いたいのかと言うと、
頑張ることしかできない私は、
頑張らないことを頑張るしかないし、
人と比べないことを頑張るしかないし、
やっぱり頑張ることしかできないということ。(笑)

でも、頑張る方向性を少し変えれば、
頑張りすぎる人が報われる世の中だって
作れるような気がするんです。

私はその一助になりたい。
方向性を1°でも変えられる様な人に。
そっと暖かい手でぽん、と
背中を押す方向を変えてあげたい。

頑張りすぎる人が報われる世界。
それが私が望む世界。実現したい世界。

さあ、そのためにどう"頑張ろう"か。

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