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短編文学的エッセイ 【Digital 遺産】

ゲームは僕にとって、単なる趣味以上の存在だった。幼少期、父や弟と遊んだファミコンやスーパーファミコンは、家族との絆を深める大切な時間だった。父から教わった「新しい武器を手に入れたら古い武器を売る」というゲームの基本ルールは、まるで人生の教訓のように感じた。何かを得るためには何かを手放さなければならないという考え方が、自然とゲームを通じて身についていったのだ。

ゲームに対する情熱は、未知の世界への憧れと好奇心から生まれた。パッケージデザインやイラストを眺めるだけで心が躍る。
それは、新たな冒険や世界への扉だった。
小学生時代には、ゲームボーイアドバンスSP、ポケモン、ロックマンエグゼ、コロッケといったゲームが象徴的で、布団の中で親に隠れてプレイすることが、自由と冒険心を体現していた。

中学生になると、ソニーのPSPとモンスターハンターとの出会いが、僕のゲームに対する感覚を大きく変えた。ニンテンドーの可愛らしい世界観から、洗練されたデザインや大人びたグラフィックへの移行は、成長の象徴でもあった。友達と一緒に通信プレイする姿は憧れそのもので、ゲームは友達との共有体験へと変わっていった。

高校生になると、スマホゲームが主流になり、手軽に遊べる一方で、バンド活動や他の趣味が生活に入り込んできた。しかし、友達からプレゼントされたPS3と『グランド・セフト・オート5』により、ゲーム熱が再燃した。オンラインでのプレイは、現実からの束縛を忘れさせてくれるひとときで、友達と夜通し遊んで次の日の学校に遅刻することもあった。その時の楽しさは、計り知れないものだった。

社会人になり、仕事やプライベートを優先する中で、一時ゲームから距離を置いたが、21歳の誕生日に父から贈られたPS4と『ファイナルファンタジー15』が、再び僕をゲームの世界へと引き戻した。FF15の広大な世界に夢中になり、現実を忘れて深夜までプレイする日々が続いた。ゲーム内での冒険は、現実よりも鮮やかに感じられた。

しかし、FF15をクリアしてから、RPGへの熱意が徐々に薄れていった。物語をじっくり追うよりも、瞬間的な判断力や技術が求められるFPSゲームに惹かれるようになった。『BATTLEFIELD』や『APEX』といったゲームが僕の主戦場となり、勝敗が一瞬で決まるスリルに魅了されていったのだ。

一方で、かつて熱中したRPGをプレイする時間は減っていった。『ドラゴンクエスト11』や『クロノ・トリガー』のスマホ版を手に取っても、クリアまでに時間がかかり、昔のように没頭することができなくなっていた。
『ドラゴンクエスト4』や『8』、さらに『ファイナルファンタジー7』に関しては序盤で手が止まったまま。以前の僕なら夢中で進めていたはずなのに、今は少しプレイしてはすぐに飽き、他のアクションゲームに手を伸ばしてしまう。もはや、コマンド入力のRPGに夢中になることは難しくなったのかもしれない。
また、限られた時間の中で、ゲームよりも他の趣味に時間を費やすほうが有意義なのではないかと考えることも増えてきた。

それでも、古き良きRPGへの郷愁や、再び夢中になれる作品への期待は、心の片隅に常に残っている。また、いつかあの頃のように夢中になれるゲームと出会えるなら、それは大きな喜びとなるだろう。時折、PSPやDSを懐古的に購入しようかと考えることもある。
ゲームは、僕にとって単なる娯楽ではなく、自分自身を探し続ける旅の一部だ。ゲームを通じての経験は、僕の人生において欠かせない要素であり、この先もその旅は続いていくのだと思う。

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