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私は魂を言葉に乗せるタイプだ。 映像記憶は下手で、絵も上手くない。だからカメラも持たない。 私の脳内の世界は文字情報に溢れている。頭の中は散らかっているけれど、たくさんの付箋がついた本が転がっている。頭の中の図書係はまだ頑張ってくれていて、幼い頃の記憶から今までの全てを必死に引っ張り出してくれる。 映像記憶が上手くないけれど、私は観たものを長く記憶しておきたい。それは単に、それが好きだからだ。こんなに幸せで好きで、快の感情が得られるものは稀で、だからしがみついている。書き
愛とは何か、みたいな壮大なテーマはまだ私には早いと思ってはいるのだけれど。 ここのところいつも書いている話とは違う話を書こうかなって思います。 自分のことって愛せてます? なかなかこう、分からない問題というか。私は自分の性格もうまいこと表現できない程度には自己分析ができていないので、自分に対しての愛情みたいなものも実のところはよくわかりません。 ただ、ここ近年の自分は嫌いではないです。 概ねクズなりにも満足している感じ。 私はあまりいい家庭環境で育ったわけではないの
懐かしい写真を振り返るばかりの日々でした。まあ意味なんてないんですけど。 私が最後に好きな選手を観に行けたのは昨年の2月初頭でした。 あれからほぼ、一年が経とうとしています。 一瞬だけB1島根にいたけれど、それはすごくいい夢を見ていたような時間で、世情に負けて私は行くことを諦めていました。 俗に言う「推しのバスケ」以外の救いを、この一年の間で私は探すことができていません。 久々に野球もサッカーも真面目に観ましたし、他の趣味がないわけでもなく、仕事にやたら打ち込んだりも
私の趣味はバスケ観戦ですが、夏の3人制バスケットも中止になり、5人制はオフシーズンなのでサッカーを観に行ってみました。 私は神奈川県民なので平塚に受肉。対戦相手は是非とも観てみたかったセレッソ大阪です。 友人にチケットを確保してもらい、検温と消毒を済ませて、両サイド2席ずつ空いた全席指定席で観戦しました。5000人制限での開催で観客数は約3500人。天気も良く快適に距離を取って観戦できました。 どうしてもサッカーとバスケットボールを比較する形で観戦したのですけれど、J1
31歳から41歳の私を生きた記憶がある。古いぼんやりとした記憶は幼稚園くらいからあるけれど、ここ近年の10年は流石にまだ鮮明だ。 31。娘が腹の中にいる。私は吐いてる。 32。娘を腹の中から出した。皆生きてる。 33。息子が腕を折る。私も初の救急車に乗る。 34。娘の夜泣きが8回。私が狂う。 35。息子がミニバスに入る。 36。娘幼稚園へ。私は復職して稼ぎができる。 37。稼ぎでNBA配信を契約して観る。 38。バスケ観戦しだす。SNSが活発。 39。推しをまじめに推す。娘
月に一回だけ美味しいものを食べに行くことにした。 自粛して自粛しまくり、なんだかもう外での娯楽は何もない。家の中で過ごす趣味がないわけではない。本も読むしゲームもする。お菓子も作るし凝った料理もやる。 ただ、外に出て何かをしたり人と話したりするものの代わりはなかなか見つからない。 料理は自粛がどうとかではなく、私は平日三食は必ず、家族全員の分は私が考えて用意しているので、延々と料理はしているしお弁当も毎日作る。 だからこそ外では自分で作れないものが食べたい。 という
鍵アカウントでつぶやくことや、顔や名前を出さないことに、疑問を抱かれたことはありますか。 人は意味がわからないものを卑怯だと扱ったりします。 こんなこと、他人は他人の事情があるだけで、その人の方針に口出しする方が煩いし偉そうなだけです。あれはいったい何様なの? 正論で押すやり方から論理的にあれすると、ソーシャルネットワークというものは、そもそも一人ひとりの使い方や、やりたい事に対してスタンスを自由に決められるものです。 顔を出した方が商売に良さそうならそうすればいいし
愛は祈りだ。 表題は作家・舞城王太郎氏の傑作のタイトルです。むせかえるほど甘くてメロウでかなしい本。 冒頭の言葉、愛は…の意味は、私にはまだ少ししかわからない。これは恋愛小説なのだけれど、私にとっての恋愛はとっくに家族愛になってしまった。 では愛は無いのか。 そうでもないと思うんだよね。愛してる、にはもちろん、ふしだらさとか、情慾とか、嫉妬とか、そういう不埒で熱いものもあるけれど、それとは違う、それ以外の意味の方が多い気がしていて、私の中にはまだたくさんある。 向け
今日からJ1の試合がはじまりました。 久しぶりにDAZNの支払いを済ませ、配信を見ました。 まともにサッカーを見たのはいつぶりかしら。 中学生の頃に日本リーグをテレビで見た私は、初めて遠征をして観に行ったスポーツの試合はサッカーです。Jリーグ1回目のオールスター、神戸ユニバでした。 雨上がりのピッチに霧がかかって、メインスタンドからの眺めが素晴らしかったことを覚えています。 その後女子高生になった私は、制服のままスタジアムに足をよく運びました。レプリカユニフォームを初
我が息子は中学3年生です。 本来なら引退試合のある時期ですが、全て無くなりました。 それでも、今月からやっと部活が再開しました。丸4ヶ月、休止していたのでした。 今日は息子とバスケットボールの話をします。 私は、息子を産む以前からバスケットボールが好きなのですが、それを彼に分かるようにはしていませんでしたし、彼にバスケを勧めることはしませんでした。 ただ、赤ちゃんの時に与えていたゴムボールはバスケットボールの柄をしていました。 小学校に入学すると、一枚のチラシが配られ
「ご期待に添えないものでごめんなさい」。 そう作品に添えられていて、クリエイターの方々が、時折謝罪しているのを見かける。 だいたいそれが起こるのは、いつもの作風とは少し違った雰囲気だったり、少しダークなエピソードを盛り込んでいたりしたとき。 あとは、何か理由があって悩んでいて、執筆できない状態だったとき…。 謝らなくて、良くない? そう思いながら、いいねを押すことでしか支援の気持ちは伝えていない。 私はうまく決められたキャラクターを演じきれているクリエイターの方々、と
という、タイトルが全てのおはなし。 ゆりあ@好きなチーム○月○日 こういうアカウント名のことね(よく入っている日付は次に観戦に行く日のようだ)。名前があったらまだマシで、チーム名だけのアカウントなんかもあったりする。 エゴサの邪魔、とにかく邪魔。 ここでいうエゴサは自分のことではなくて、忙しかった時に推しチームの話題だけ検索したいな…という時の推しをサーチすること。 何故チーム名を検索したら誰かの日常を全て読まなければいけないのか…好きの属性、プロフィール欄でよくな
破壊なくして創造はなし、悪しき古きが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ は橋本真也の名言です。どういったシチュエーションでの発言かはここでは触れません。 破壊とは、創造とは、さて現代で何かを新しくすることにおいてセットで語られるものでしょうか。 新しく造り出すには壊さなければいけないものがある。これは何事においても、一理あるのでしょう。 ただ、壊すものを間違えたら悲惨です。 人は間違えやすい生き物です。神だって、壊してはならないものを壊しました。 私は破壊と創
鈍いバカは強い。それが戦略的であろうとなかろうと。この言い方は非常に失礼だが、今のところ、誰のことも指してはいない。 無知 1.その方面に知識が欠けること。 2.おろかなこと。知恵がないこと。 無神経 物事の感じ方が鈍いこと。恥や外聞、人の気持などを気にもしないこと。 別段目新しくもない意味だが、今日言いたいのは知らなかったり気にしなかったりする傾向が、もしかしたらアドバンテージになり得るのか?ということ。 もしかしたらずっと何も分からない方が有利…もしかしたら楽しい