泡沫の夢
31歳から41歳の私を生きた記憶がある。古いぼんやりとした記憶は幼稚園くらいからあるけれど、ここ近年の10年は流石にまだ鮮明だ。
31。娘が腹の中にいる。私は吐いてる。
32。娘を腹の中から出した。皆生きてる。
33。息子が腕を折る。私も初の救急車に乗る。
34。娘の夜泣きが8回。私が狂う。
35。息子がミニバスに入る。
36。娘幼稚園へ。私は復職して稼ぎができる。
37。稼ぎでNBA配信を契約して観る。
38。バスケ観戦しだす。SNSが活発。
39。推しをまじめに推す。娘が入学。
40。仕事を増やす。息子が卒業。
41。平穏な日常からのコロナ禍。生きてる。
色々ありすぎて全員生きてて良かったなとしか思えないのですが、10年で子供はひとりからふたりになるし、幼稚園生だった息子も中学生なので、私も何もしていなかったわけではなさそうです。
最初の5年は自分の時間がなくて、自分の楽しみをする暇も理由も資金もなくて、子供が成長するだけで有り難いとはいえど、ただ身体だけがきつかったので、歳をとっても今の方が楽しいです。
推しができてからは生活に張り合いがめちゃくちゃ出たので、仕事人間でない私でも仕事も結果を出したかったし現在はだいぶ増やせたことは良かったなと思います。
趣味は散財するものでもありますが、生きる楽しみが増えます。振り返ってみると、ただ好きなバスケをふらっと観に行くことにして、とても幸せなことが多かった後半の5年間です。
私はあまり勘がはたらくようなことは少ないのですが、なんとなく感じたようにしているうち、不思議なご縁ができたことを、これからも大切にしていきたいなと思いますし、ご縁の賞味期限がきても仕方がないな、とも思っています。
子供は大きくなるし、思い出は過去のものでしかないけれど、そこそこましな10年間だったのかな…という、明日は誕生日なんです、というだけの話。
2020.07.10.