息子のラスト・ダンス
我が息子は中学3年生です。
本来なら引退試合のある時期ですが、全て無くなりました。
それでも、今月からやっと部活が再開しました。丸4ヶ月、休止していたのでした。
今日は息子とバスケットボールの話をします。
私は、息子を産む以前からバスケットボールが好きなのですが、それを彼に分かるようにはしていませんでしたし、彼にバスケを勧めることはしませんでした。
ただ、赤ちゃんの時に与えていたゴムボールはバスケットボールの柄をしていました。
小学校に入学すると、一枚のチラシが配られていました。地元のミニバスクラブからのチラシです。他にも、野球、剣道など、様々な地元クラブのチラシが配布されます。
彼はミニバスクラブのチラシだけを私に渡して「やりたい」と言いました。彼がバスケットボールを知っていたことすら私には驚きでした。聞くと、あの赤ちゃんの頃のボールの話をしたあと「チームプレーがやりたい」と言いました。
息子は3歳から水泳を習っていました。水遊びが好きだったので「川や海で自由に泳ぎたい」との希望でした。小学校入学時点では、背泳とクロールがほぼ泳げるようになっていた頃です。
私は迷いました。なぜなら、下の娘がまだ2歳になる前で、彼の小学校入学を期にやっと授乳を終えたところだったからです。正直、水泳に加え、習い事を追加して送迎する自信はありませんでした。
「一年待って、まだやりたかったらにして」
彼はその条件をのんで、次の年。
また、同じチラシを進級時に持ってきました。こうして、小2からバスケットボールをはじめました。やる前に、約束したことがあります。
「お母さんは実はバスケットボールが大好きで、よく観ます。だからきっと、厳しいことを言うと思うし、簡単にやめて欲しくないとも思ってしまうと思う。それでもいいか」と。
正直、ミニバスクラブは大変なことの多い場所でした。車を使わず、未就園児を連れた私には送迎も待機もしんどく、学年が上がるほどにコーチからの言葉遣いも厳しくなり、設営などの親の負担も大きくなりました。
一時期、諸々があって私がノイローゼになった時も、彼はバスケは辞めたくない、と言いました。水泳は個人メドレーの規定タイムまで終えて辞め、バスケットボールだけに習い事をした頃でした。
小学6年生の最後の試合では、16-104で負けました。12点は息子が奪ったものでした。彼は泣いてはいませんでした。地元の公立中学に進学してからも、バスケットボール部に入りました。
息子は中学では公式戦に出ていません。今の代の公式戦は今年2月にあり、彼はインフルエンザに倒れていました。
引退試合の代わりになる試合は、検討はされていますが、何も決まってはいません。そして、部活動の参加には一枚の紙が配られました。
リスクを承知の上、参加不参加を自由に決定できる、という内容でした。参加には親のサインがいり、決定自体は子供自身にさせるように、親に話がされていました。
「やりたいからサインして」
彼は渡してきました。きっとバスケットボールの関連では、最後のサインになります。
彼は進路をもう決めています。志望校に受かるだけ、という状況です(学業成績は聞かないでください)。彼の進路は、順調にいくとバスケットボールをする暇は殆どないでしょうし、志望校にはバスケットボール部員が試合ができるほどいないような学校です。
私は判をついて、名前を書いて渡しました。
衛生面から、中学校に初めて自分の7号球を持っていくとのことで、昨晩、磨いていました。私にもパスしてもらって、久々に中用のボールに触れました。パスして返したとき、久しぶりにかわいらしい笑顔で彼は笑いました。
彼は上手くもないし、センスもないし、テクニックも不足していたし、ストイックでもないです。ただ、「チームプレーがしたい」と小さな頃から言っていた通り、チームメイトを励まし、身を挺してチャンスをつくり、苦しい時に点を取ろうと奮闘し、どんなラフプレーを受けても耐えた、辛抱強さがあったと思います。
バスケをしてくれて、嬉しかったな、と思います。
2020.07.03.