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書くことは生きること

私は魂を言葉に乗せるタイプだ。
映像記憶は下手で、絵も上手くない。だからカメラも持たない。

私の脳内の世界は文字情報に溢れている。頭の中は散らかっているけれど、たくさんの付箋がついた本が転がっている。頭の中の図書係はまだ頑張ってくれていて、幼い頃の記憶から今までの全てを必死に引っ張り出してくれる。

映像記憶が上手くないけれど、私は観たものを長く記憶しておきたい。それは単に、それが好きだからだ。こんなに幸せで好きで、快の感情が得られるものは稀で、だからしがみついている。書き留めておけば私はいつでも鮮明に思い出せる。

来月からは一応、私の趣味のバスケ観戦も新しいシーズンになる。きっとまた、書くと思う。どういうスタイルにするかはまだ考えているけれど、私の記録と、記憶は、残していきたい。

いいねは、もらえたら嬉しくない人はいないだろうけど、私はそのために生きていない。私は私を曲げることができないし、他人に媚びるくらいなら死んだ方がマシという、面倒くさい信念もある。

私のいちばんの読者はいつも私だから大丈夫。

私は作家になりたいわけじゃないし、スポーツライターも目指していない。もっと言うと、たくさんの方に読まれることを意図してものを書いていないし、誰に読まれてもひけらかすために書いていない。私はそういう他者には興味がない。

では何故書くのか。自分以外の人に読まれないのに。

書かないと息ができなくなるから。胸が苦しいから。覚えていたいだけ、ただずっと勝手に。書きたいだけ、溢れた言葉を忘れないうちに。私は私のためにしか生きていない。だから全て自分勝手なのだけれど、だから知らない人には選んでもらわなくていい。

そう、勝手に。誰かに伝わらなくていい。誰にも伝えるつもりもない。

勝手に書いている。
勝手にファンをしている。
その自由が欲しいだけだ。


2021.06.