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無知と無神経
鈍いバカは強い。それが戦略的であろうとなかろうと。この言い方は非常に失礼だが、今のところ、誰のことも指してはいない。
無知
1.その方面に知識が欠けること。
2.おろかなこと。知恵がないこと。
無神経
物事の感じ方が鈍いこと。恥や外聞、人の気持などを気にもしないこと。
別段目新しくもない意味だが、今日言いたいのは知らなかったり気にしなかったりする傾向が、もしかしたらアドバンテージになり得るのか?ということ。
もしかしたらずっと何も分からない方が有利…もしかしたら楽しいんじゃないかな、と思うことが多いから。
理解しようと考えたり、ある程度繊細に気を配ったり気をつけたところで、いいことがあまりなかった経験が積み重なって、つまりはどういうことなんだろう。
たくさん勉強してみんなと仲良くすることが是とされた教育課程から、社会というものはそんな道徳観だけでは乗り越えていけないことくらいはわかる。
よく知っていることは面倒くさい。
気を配られても、そんなことは余計。
知らない人を馬鹿にしているように感じる。
気遣いをするのは、考えすぎである。
分からないからひけらかさないでほしい。
恥や外聞を、気にしない方がこのましい。
曖昧でぼやけた思考のままで、ありのままの個人的な部分なりなんなりを曝け出しておいたほうが、きっといろいろなものの境界もふわふわとしているから、ぶつかったこともたくさん緩衝されてダメージがないのかもしれない。
私の認識していたどこかの世界の知ることは、知ることで教え教えられ、知った人がまたどこかで教え教えられて、共有できるものが増えるイメージだった。
私の認識していたどこかの世界の物事の感じ方は、最低限のモラルを探りながら、それぞれが研ぎ澄ます部分があったりそれを磨いたり、もしくはそこまで研鑽しなくとも他人の気持ちを守ることは自分の気持ちを守ることだった。
たぶん私がどこかの世界に居られなくて、ここにいるだけなのだろうな、という気がしている。認識はきっと間違っていた。少なくとも今いる場所はそうではないから。
2020.06.29.