収穫隊を選ぶということ
オリーブの収穫をするのは、1人では出来ない仕事である。週末に家族総出でやっているところもあるけれど、大概は、どこかの収穫隊に委託する事になる。予定されていた収穫日の前日、試しにやってみたけれど、これがなかなかの体力仕事で、手が届くところは良いけれど、高いところの収穫となると、ずっと上を見上げながら道具を駆使しなくてはならないし、それ相応の筋肉が必要だと、翌々日に感じる筋肉痛を患いながら、上手く収穫隊を選ぶ必要性をひしひしと感じてしまう。「収穫隊を選ぶということ」これがまた、未知の世界であり、本当に難しいところがある。収穫隊として働く人のほとんどが移民。イタリア人もいるんだそうだが、若い人が少なく、値段も高い。過去2回の収穫は、モロッコ人グループにお願いしたけれど、昨年は高くついたから、今回は、比較的真面目だと言われているバングラデシュ人のグループにお願いする事にした。だけれど、収穫日の予定設定が不確か、初日から場所を間違え大遅刻…となると、次回はどうしようと考える。ご近所さんは、近郊に住んでいるアルバニア人が良いよと言うけれど、どうなのだろう。難しさは、それだけではない。自分が女性であること、日本人である事が大きく作用している気がしている。
お隣のシニョーラも言っていた。「最初は良いのよ。調子がいい。でもね、(女性に)指図されるのが嫌みたいなの。全く聞いてもらえない。だからいつも知人(男性)に連絡をお願いするの。」イタリア人の女性でそうならば、自分には尚更のこと。「男女平等」が当たり前の国に住んでいると憤慨する男尊女卑。けれど、そうでない男性優位が当たり前の国の人にとってみれば、女性から命令されるのが、どれだけ苦痛な事なのかは、メルカートで働いていた時に実体験している。彼らが悪いんではない。ただ、そういう社会で生きてきた人間とそうでないところで生きてきた人間との間には、分かり合えない事柄があるということ。長い歴史の中で培った習性なのだから、仕方がない。彼らの名誉のために言っておくと、奥さんを外で働かさないために、凄くよく働いている人もいる。大きな荷物を運ぶのに手伝ってくれたジミーは、セネガルの出身。朝日が昇る前から夜日が沈んだ後まで、すごく良く働いた。「僕ね、奥さん3人居るから、3家族分働かなくっちゃいけないの。」笑いながら、そう語ってくれた。よく働くから、オリーブ畑のある町でも人気ものである。話がズレてしまったけれど、そういう、お助け部隊と上手く付き合っていくのに、いろいろ考えなくてはならない。「今」と向き合いながら、来年度のことも考えている。