【映画評】『トリコロール 青の愛』 喪失が生み出し続ける痛み
Trois Couleurs: Bleu
1990年代初頭に、フランス政府の依頼を受けたポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが1993年に発表した
『トリコロール 青の愛』
フランス国旗の青は『自由』を象徴し、キェシロフスキはそれを
『過去の愛からの”自由”』と解した
だがそのようなことが果たして人間に可能なのかという疑問を抱き合わせて、この物語は進む
冒頭の交通事故で夫と幼い娘を亡くし、ひとり生存したジュリー(ジュリエット・ビノシュ)は病院で目覚め、その事実を知らされた直後に、直線的に服毒自殺を図るがー
人間はそう簡単に死ぬことができない
死ぬことができないのだ
屋敷を含めた全財産を処分し、パリへと移り孤独な生活を始めるが、ふと、高名な作曲家であった夫の未完の『欧州統合協奏曲』が脳裏を走る
パリの音楽界では、この未完の交響曲は実は夫が制作したのではなく、ジュリーが書いたのではないかという噂が流れ始めー
この未完の曲の完成が、彼女の再生に繋がっていくが、その為にはジュリーに密かな想いを寄せていた夫の弟子と一夜限りのベッドを共にし、夫の愛人の存在とこれから生まれてくる隠し子の認知、同じアパートの娼婦との邂逅、全編を通して小物や照明が、耽美的な青で統一され―
この重層的で難解なテーマと、ジュリーが抱える愛する者の喪失が産み出し続ける鋭い痛みは、あるいはジュリー以外には誰も共感も同調も理解も出来ないのかも知れない
『過去の愛からの”自由”』
―出来ないのかも知れないが、キェシロフスキはこの壮大で夢幻的、完成した協奏曲の圧倒的なラストにひとつの『回答』を示し、観ている者を、涙と深い沈黙の中に退かせる
それはおそらくキェシロフスキの才だけではなく、主演のジュリエット・ビノシュの才、透明感のある美しさ、そして90年代初頭のパリの退廃的な空気感が混ざり、低温度で熟成された結果なのかも知れない
キェシロフスキはこの三部作を完成させた数年後の1996年に物故されるが、天才が残した静かな名作