ソロ・シティー、雨
INDONESIA
Soloは雨に煙っていた
Semarangから南へ約100km、この一ヶ月で訪れてきたBandungan、Ungalan、Salatigaよりもさらに南にある、ここは古代から続く古都だ
歴史が深く、だからここSolo Cityは多彩な顔をもつ
ひとつは中心地から北に小さな空港があるので、その利便性は、例えば海外からの観光客がバリ島で過ごした後に、世界遺産の古都Jogjakartaへの移動の中継地として利用したり、その逆のルートを採るひとも多く、要は交通の要所としてひとの往来が多く、栄えてきたのだ
また、インドネシアにおけるひとつの〈ファッションの都〉でもある
ここSolo Cityは古代王朝(古マタラム王国)が永らく栄華を誇り、伝統服〈BATIK〉のひとつの発祥地とされ、現代においても多くのBATIKメーカーが並び、多くのデザイナーが自然と集まり、古代遺跡をランウェイの場所として利用したコレクションが毎年開催されているはずだ
そして最大の特徴としては、ここSolo Cityをひとつの中心地として、周辺の山々では今でも未踏の古代遺跡が次々と発掘され、それだけではなく、人類のひとつの起源ともとれる〈ジャワ原人〉の遺骨も発見された歴史深い土地でもあるのだ
この町には・・・強く引きつけられる何かがあるような気がする
本来はもっと早くに訪れてもよい土地のはずだが、なぜかこれまで縁がなかった
この週末、乾季の中部ジャワには珍しく天気は大荒れだとウェザーニュースはいっていたが、面白い。いいだろう。行ってみようか
高速道路を南下し、先だって訪れたSalatigaのSAを越えたあたりで雨脚が強くなった
ここ赤道に近い亜熱帯気候のインドネシアの雨は、凄まじい
何しろ首都ジャカルタは、すでに降雨の影響で地盤は海抜以下まで下がり、世界でもあまり類例をみない〈首都移転〉をせざるを得ない状況なのだ
もちろん、それ以外にも理由はあるのだろうが、その移転理由の、極めて重要な部分を占めているのが、この雨なのだ
わたしは、特にここ最近では、週末に訪れるSemarang近郊の田舎町に宿泊する際は、基本的に観光名所やレストランの下調べはほとんどしない
それは、もし下調べしても基本的に何もない町だということもあるし、自分の勘のようなものを頼りにしている節もある
もちろん、後から後悔することも無きにしもせずあらずだが、そういった場合はまた出直せばいいだけだ
しかし、今回のSolo Cityでは、この大雨を事前に知っていたこともあり、事前にいくつかスケッチはしておいたのだ
どうせ雨に降られるのであれば、ホテルから徒歩圏内でいくつか寄るとこがあればいい・・・
この古都はさすがに交通の要所ともあって、ホテルは選り取り見取りだった
いくらか迷った挙句、ホテル近辺の利便性もあって、今回はフランスのSOFITEL系列の五つ星を押さえておいた
ホテルの敷地の通りを挟んだほとんど向かいには、オランダ支配下時代の<ヴァステンブルグ要塞>が、ほとんど廃墟に近い状態で今も残されているというし、その傍には小洒落たタイ料理屋もGoogle Mapで見つけておいた
ホテルにチェックインする前に、その<Chao Phaya>という名のタイレストランで遅めの昼ごはん
ほんのり汗ばみながら最後の一滴まで完食して、ホテルへ
クラシカルなホテルのロビーは壮観だった
仕事柄、主に日本市場の五つ星ホテルや某航空会社の国際線のビジネスラウンジの家具の製造と輸出にたずさわっているが、久しぶりに気持ちのよい調度品を観ることができたような気がする
インドネシアでも様々な場所の様々なホテルに宿泊してきたが、例えば欧米資本のホテルの場合は、内装や調度品が中途半端な気がすることが多い
方針が固まりきれず、中途半端に欧米の要素を取り入れたり、また目指そうとした結果、混乱を極めた無残な空間になる場合が多いように思えるのだ
しかし、今回宿泊したここは、(おそらくは)全てをインドネシア産の総アンティークで揃え、赤を基調とした複雑精緻な彫刻、個性が強いように思えるそれら全ての家具が見事な調和の中で、個々が存在感を示しながら来客を静かに迎え入れている
加えて、受付の女性スタッフの応対もにこやかで親しみのあるもので、チェックインの手続きをしていると、氷水の中に西瓜の端切れと薄切りのライムが浮かんだ水をグラスに注いでくれ、その不思議な風味の爽やかな味に思わず、ずうずうしくももう一杯、とおかわりを頼んでしまった
陽が暮れかかる頃に、雨は本降りになった
高層階の部屋の窓辺に立ち、わたしは飽きもせずに眼下の雨に煙る町を眺めていた
結局、この日は行くことを断念した<ヴァステンブルグ要塞>の巨大な門が青白くぼんやりと照明に浮かび上がり、その前のバス通りでは黄色いヘッドライトの照明をまぶしく輝かせながらバスが何度も往来し、バス・ストップで降りた乗客たちが傘も差さずに急ぎ足で駆けて行く
通りに沿って屋台が何軒も出ているが、やはりこの雨の影響なのか、どこも人が少ないように見える
やがて東の空が雷鳴と共に一瞬だけ光り、数秒遅れて地響きのような雷の音が聞こえてくる・・・
わたしは普段はほとんど使用することのない望遠レンズをカメラに装着して、全く軌道が読めない雷に向けて高速シャッターの機能を利用して撮影を試みる
翌朝は綺麗に晴れ上がった
昨夜は結局、雷を撮影した後に久しぶりにバスタブに心地よく浸かり(一泊二日で合計4回)、持ち込んでいた赤ワイン1本をまるまる空けてしまい、それ以外は何も口にしなかったせいか、空腹で目が覚めた
とにかく、宿泊代にインクルードされている朝食ビュッフェにでも行こうか
ロビーに併設されたダイニングレストランに入り、珈琲を一杯飲んでから、まだほとんど人気のないレストランで豪華な朝食
朝からオムレツ2枚にパンケーキ1枚、たくさんのフルーツに珈琲を3杯
それだけで今日一日分のエネルギーは補給できたのではないかと深く満足する始末・・・
Solo City、今回はほとんど雨宿りのような滞在だったが、この町は再訪すべき町なのかもしれない
だが、焦る必要は全くない
その気になれば金曜日の夜に再びここを訪れ、土日を使ってじっくり見て回ることも、十分可能なエリアなのだ
チェックアウトを済ませ、エントランスのブロンズのベンチで気持ちよく眠っている少女の銅像をみたときに、わたしはまたこの町を訪れるつもりであるということに気がついた
<ちょっとしたあとがき>
先だって、懇意にさせて頂いているあるフォロワーさんの記事に、懐かしい名前のポーランドの映画監督の名前と作品がでてきた
映画監督の名は
クシシュトフ・キェシロフスキ
代表作は<傷跡>、<アマチュア>、〈ふたりのベロニカ〉、<デカローグ>他で、おそらく最も有名な連作が<トリコロール三部作>(青の愛、白の愛、赤の愛)だ
1990年初頭にフランス政府からの要請を受けて製作された世界的な名作で、そのmakilinさんが作品を改めてご紹介されていたのだ
わたしも以前、この三部作に関しては<映画評>という形式をとって<note>で掲載もしていたが、最近、改めてこの三部作を観なおして、やはりいいな、と思っていた
やはり、いい作品だなと
そこで密かに構想を抱いたのが<連作>という形式で、しかも<色>を主軸にした連作をわたしも書いてみたいと思ったのだ
もちろん、キェシロフスキのような天才の作品を目指そうとしたのではなく色をひとつの、そして小さなテーマにしたときに、わたしにはいったい何が書けるのだろう
<色>に関しては、わたしがいきなりフランス国旗を踏襲するには不自然にすぎる
パリは最も好きな都市のひとつだが、やはり違う
何色がいいのだろう
何色でもいいのだが・・・
何色でもいいのならば、わたしたちに最も身近な信号機でどうだろう
誰でも知っている、あの、赤・青・黄
信号機三部作
そうして立ち上げたのが直近2週間で書き上げた以下の作品だ
・<ウンガラン、霧>
・<サラティガ、月>
・<ソロ・シティー、雨>
いずれもSemarang近郊の小さな田舎町で、当初は日本人にはなかなか馴染みのないこれらの町の魅力を写真と共に書いてみようと思っていたが、書きあがったものは必ずしもそうはならなかった
<ウンガラン、霧>に、予期せず他界した父を出してしまったその影響を引きずり続け、次作の<サラティガ、月>も死者の話が中心となり、最後のこの<ソロ・シティー、雨>も当初は前作をさらに徹底的に掘り下げた死者の話にするはずだった
しかし、実際に書いてみると死者たちを使うのはひじょうに難しいのだ
それは異常にエネルギーを消費するといいかえてよい
それは技術的な面というよりも、何しろわたし自身のテンションを限界まで落とし、まるで自分の身体を限界まで冷やして初めて最初の一行目が書けるような気がするからだ
だからこの連作を書きながら、途中までは<ソロ・シティー、雨>で徹底的にわたし自身を落として、その次にSemarangの海辺を材にとった最終作<スマラン、陽>という仮タイトルの作品で一気に引き上げて完結させようと構想していたのだが、そうはならなかった
自分自身のコントロールが非常に難しく、扱ったテーマがどうしても〈三部作〉では自分自身の中では落としきれなかったのだ
だから結局、この<ソロ・シティー、雨>は毒にも薬にもならない無害な旅行記としたが、今のところはこれでいい
今回、試験的に書いてみたこのいわば信号機三部作は内容的には未完で終えたので、また次の連作に投影させていけばいい
〈note〉の本当の良さは、あるいはそうした自由性にこそあるのだろう
試行錯誤を繰り返しながら、その過程も作品として発表することが可能なツールで、対象を決めるのも自由、書き方も自由、まだ完成に至っていないのであれば再度練り直すのも自由だ
いいかえればアマチュアが自由自在に自己裁量のうえで、自由に使いこなしていいツールなのだ
そして、結局はじぶんの身の丈にあったものしか書けないのだろう
でもだからこそ、次の連作で
この、<note>を駆使して・・・
クシシュトフ・キェシロフスキ
<トリコロール三部作>
<信号機三部作>