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鬱の娘の変化

先日、鬱の娘と病院へ行ってきた。

病院に着くと、娘の視界は私以外の周りが「黒く」なるそうだ。(←娘の表現の仕方)

たぶん、病院が嫌だというストレスと、何を言われるか分からない不安でそうなるのだと思う。
そうなる事を「視野が狭くなる」という言い方をするそうだ。そして、不安が多い人はよくなることだと医師から聞いた。

娘は鬱になってから、医師の言葉が理解できなくなっている。何かを話しているのは分かるが、何を言っているのか理解できないらしい。
この事を伝えると、医師は、

「本当に脳が敏感になっていて休めていないんだね!
そうなるの分かるよ!
集中力も落ちてしまっているから理解力がなくなっているんだね。
でも、脳が変になった訳ではないから、少し脳を休ませてあげたら、また集中する事が出来るようになるからね!」

と仰ってくれた。

また、娘が少しずつ焦ってきている事も話した。
一日中何もしない自分、やらなければいけないことがあるのに行動出来ない自分……

そんな状況から抜け出す手段として、好きな音楽を聴いたり、ぬり絵は効果的だそうだ。

だけど、音楽をやっていた娘にとっては、音楽を聴く事で焦りや不安を増大させるだけ……ぬり絵は以前やってみたがあまり楽しくなかったみたいで……
結局、「今は何も出来ないかな……」と仰っていた。


まだまだ、道のりは遠いなぁ~


「焦り」は周りの事を考える事が出来ているので少し良くなっている証拠。

量は少ないけど、食べることもきちんとしてくれるようになったので、脳の働きが良くなり考え方がおかしくならなくなった。



鬱になる前は、あれやこれやといくつも自分に課題をつけて多忙にしていた娘。

そんな彼女は、最近、沢山の事に手を出しすぎていた事に気付く。

私はまだ何もしなくていいと思っているのだけれど、彼女は何か一つ行動していきたい!と思うようになってきている。でも、それを何にするか、で迷っている。

学校の事が最優先なのは分かっているが、教科書の字が読めなくなっていて、理解できない……
じゃあ、バイオリンを弾こうかなと思っても以前のような「弾きたい気持ち」にはならない……

そこから、また彼女は気付く。

これから先、バイオリンを弾きたくなるまで待っていてもその日は来ない!と。

なぜなら、弾かない日が増える分、以前のように弾けるのだろうか…と不安の方が大きくなっていくからだ。
弾きたい気持ちより不安の方が大きかったら、いつまでも弾きたい気持ちは起きて来ないと思う。と彼女は言った。そして、それだったら不安な気持ちがもっと大きくなる前にバイオリンを弾こうと思う。と彼女は決めた。

ここまで深く良く考えるなぁといつも私は感心する。
やっぱりバイオリンの事を考えるのは、それだけ彼女にはバイオリンが大きな存在なんだな……と思う。


今は何もしない方がいい!と医師に言われているし、彼女の気持ちも波が激しい。いつものように、次の日には「やっぱりやめる」となるかも知れない。

でも、やろうかな!と行動に移す事は悪い事ではない気がする。たとえそれが失敗に終わってもまたやり直せばいいと私は思う。


私も鬱の経験者であるが、治りかけの時は何もしていない自分に焦ったりした。だから、早く何か仕事をしなくちゃ!と思って、仕事をしてみたが、続かずやめてしまったという経験がある……でも、2、3回その失敗を繰り返して「次こそは続けよう!」とか、「ここでやめたら前と同じになる。耐えよう!」と思う気持ちが沸き、そうやって人は少しずつ強くなっていくのではないか……と私は思う。

人生は『七転び八起き』である。生きていたら何度だってやり直せる……

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