フォリアの古典文様について
(紬名古屋帯「桃山の藤」・桃山時代の着物の刺繍を題材に制作したもの)
フォリアでは、今までも古典文様を沢山扱ってきましたが、最近は(2017年ぐらいから特に)
「古典エレガントポップ」
というキーワードで
「カジュアル面でも使いやすい古典文様」
の和装を打ち出しています。
フォリア製品としては、絶対に外せない「エレガント」であることは押さえながら、ポップでカジュアルな要素も押し出している感じのもの。。。
ちなみに、フォリアでは一般的に良しとされている「いかにも呉服的な前時代的品の良さ」というのは、和装のエレガントさの範囲に入れておりません。あのような感覚は、戦後の、その当時の文化人たちが伝統の本質的部分とは関係なく手先で作り上げた「日本文化の亜種」だと定義しております。
フォリアでは、もっと生命感のある、伝統の大河の水から出来たエレガントさを作り出そうとしております。それは例えば、東京国立博物館の収蔵物と同質の波長を持つもの、です。
そのようなものは、変に取り澄ましたものでなく、生き生きとした生命感のあるものです。
料理で言えば、キチンと素材の味わいがある料理です。一時期流行った日本料理のスタイルのような、素材の味を抜いてしまって、その味わいの平板さを品のある味とするような価値観ではありません。
フォリアの和装品の古典ものについては、
正確に言うと「普段着にしか使えないもの」ではなく「ちょっとあらたまった風にも使えるし、取り合わせによってかなりカジュアルにもなる、そしてどこか愛らしい感じのあるもの」です。
伝統の本流のものは、どんなに厳しい感じのものでも、どこかに幼児のような天真爛漫さと素直さ、可愛らしさがあります。これは、日本文化に限らず、真に伝統的なものにはそれがあります。
元々フォリアではそういうものが多かったわけですが、それをより意識して最近は制作しています。
今までは古典文様は冠婚葬祭や重い訪問着などで親しまれて来ましたが、実際にはホンモノの古典には、ポップで楽しいものも多い、というよりも、実際には古典文様の本質はそういうものなのが、文化の教養化と権威化によって悪い意味の威厳のようなものを持たされてしまったものが多い。。そこで誤解が起こった。。という部分は間違いなくあります。
その誤解から、古典文様を開放し、現代人として「古典と身構えずに出会う」ことを目指し、和装化する、そんなものを意識しています。
かつ、最近流行っている古典文様の解釈のような「古典文様を伝統と切り離して、現代の配色やバランスで使う」感じのものとも違うものを制作しています。
それは形だけ古典文様を使っているだけで、伝統とつながっているとは言えないと私は感じております。
「現代に機能する古典」
それを強く意識して制作する必要があると、私は思っております。
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