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それは単に文化の違い

良く、日本のモノづくりは特別に素晴らしい、ということが言われます。

しかし古今東西、手工芸品、工業製品、食品、何においてもそれぞれの地域にある民衆からの需要、その地域の伝統から来る文化的な嗜好、宗教観があり、それぞれに高度な技術や価値観を持っています。

高度に技術的なものもあるし、朴訥としたした良さをそのまま保持しているものもあり、人間の実用生活において「技術的に高度で精緻なものが、技術的には幼稚で朴訥としたものよりも文化的に高度」ということは無いわけです。

人とモノの関係は適材適所が良いわけですから。

それに、自分たちは必要な高度加工技術を持っていなくても、欲しいものが明快にあれば、欲しいものをアウトソーシングして、総合的には高度に文化的なことを成し遂げてしまうことも出来るわけですし。

何かモノをつくる技術だけを問題にしてもダメなんですね。

それと、良く言われる「日本の工芸や工業の加工技術は特に精緻」というのは無いのだと私は思っています。

また「日本人は特別に細かいところまでこだわる美意識を持っている」というのも無いと思っています。

外国のものでも日本のもの以上に精緻で高度な技術のものは沢山あります。

例えば、和装の細やかなパーツにいたるまでの精緻さは見事ですが、しかしそういう美意識と技術は日本以外でも普通にあります。

その違いは、単に文化の違いに過ぎませんから、例えば他の文化圏の人たちの制作物が、日本人が気にする部分において雑だとしても、それは日本よりも雑な文化というわけじゃないんですね。

そういうところを見つけてきて「ほら、日本の方が細やかで素晴らしい!」と言って悦に入っていてはダメなわけです。

それは、日本と日本以外のモノ作りの特性の違い、どこに力を注ぐかの違い、に過ぎないのです。

逆に、日本以外の文化の人たちから観たら、どうして日本人はこの部分をいつも適当にしているんだ!雑なんだ!という部分があるでしょう。

また、日本人はここの部分が無駄に細かすぎてダサい、ということもあるでしょう。

「日本人は、世界で一番素晴らしいモノづくりをする民族であるぅ〜!!」と大声で自慢するタイプの日本礼賛は「だから日本はダメなんだ」という日本全否定論者と方向が違うだけで、中身は一緒なんですよね。

もちろん特定の時代に区切って判断すれば、例えば「この時代の、この分野においては、この国が一番優れていた」と言うことは出来ます。

しかし、文化はもっと大きな流れで把握されますし、お互いに影響を与えたり受けたりして進化や退化をして進んで行きますから、モノづくりや、文化において「〇〇だから△△民族は特別に優れている」と一般論化して言うことは出来ないのです。

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