冬の輝く胞子が すべてを変容させる
第37週 12月15日〜12月21日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、あなたの伝え与えるチカラが促されています。ひと言で、“心を伝える”だけでもよいのかもしれません。自分本位から利他的なものへと意識を拡張し、自分に与えられた役割をしっかりと受けとめ、伝え与えていくことの重要性なのです。
では、読み解いてまいりましょう。
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夜半の冬、心の光を運ぶための
わたしの直感に祝福あれ
輝く胞子が
世界の礎に着床する
そして、心の奥底に宿った大いなるものの詞は
すべての存在を変容させる
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夜半の冬
夜半の冬とは、さえざえと空気が澄み、星や月の輝きが増すようにみえる冬の夜のこと。日本語には、ホントに美しい単語がひそんでいますね。いよいよ冬の到来ですね。空気も心も澄みわたってゆく感じを静かに味わいたいものです。
しかし、年末が近づくにつれ、なぜか忙しさに巻き込まれ、心の奥に降り積積もった雪のごとく、断片的なやり残しに気づかされませんか。この季節、年末のイベントや大掃除などの計画が立てられてゆく一方で、年始めに立てた目標は、一体どうなってしまったのかとか…気になる季節ですよね。
でも、あなたの一年を振り返れば、成長できたことも多いのではないでしょうか。きっと、新しく始めた取り組みなどは、光の胞子のようなもので、何か大いなるものにつながる役割があるはずです。冬の澄んだ心で、それらを振りかえり、掘り下げ、与えてゆく季節なのかもしれませんね。
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先週のメッセージにあった、
あなたの目的を
大いなるものの光で満たし
与えられたもので世界に応えるのだ
に続いて、それを世界に拡めていくように。というメッセージが感じられます。たとえば、宗教を信じる人、善意や愛を与える人、お金儲けで貢献する人、…アートを届ける人、詩を届ける人。等々、あなたも何かしら、使命をもって努めているはずですよね。
それらは、光輝く胞子であり世界中に拡散してゆきます。それぞれがそのまま発芽し多様性を維持しながら、波動のように拡がってゆくのです。
つまり、届ける内容も大切ですが、誰かのもとに届け伝えることの重要性をいっているのではないかと思うのですね。ただ漠然と自分の役割を内省するより、外界に向けて発信し伝え与えることで、自分本位から利他的なものへ内容も変わってゆくのです。
誰しもが与えられているであろう、大いなるものからの役割をしっかりと受けとめ、伝え与える義務が、あなたにも課せられているのです。
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光輝く胞子
映画『風の谷のナウシカ』の一つのテーマである“腐海の森”の植物たちが放つ“瘴気”という毒。これは、物語の核となる象徴的な存在です。この森は、人間の活動によって汚染された地球が自らの浄化を試みる自然のシステムが描かれています。
人々は、その毒に侵され苦しんでいました。主人公のナウシカは、その苦しみを少しでも取り除くため、腐海の謎を解明するために、秘密の地下室で腐海の森から植物の胞子を集め研究のために育てていました。
腐海の植物が瘴気を出しているのは、植物のせいではななく、おそらく人類によって穢された土が原因であることを突き止めたのです。きれいな水と土では腐海の木々も毒を出さないことを解明したわけです。
森の奥深くでは、有毒な汚染物質を吸収し、分解しながら、地中に浄化された土壌を生み出していたのですね。この点で、腐海は人類にとって単なる脅威ではなく、再生の可能性を秘めた存在だったのです。
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今週の詞にでてきる“光輝く胞子”も、ナウシカが、きれいな水と土で育てた植物のような側面が、非常に大切になると思うのです。
あなたが直観的に、“祝福あれ”とコトバにするものが、何かに汚染されたものではなく、“ホンモノの輝く胞子”であるかどうかを観きわめる必要があるのですね。
そのためには、ナウシカのような澄んだ精神をもちあわせ。透き通った空間の中で、光漂う美意識の胞子を感じとれるように、浄化や成長への努力を惜しむことなくすべきなのです。
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そのような大層なものが自分に与えられているのだろうかと、考えてしまうかもしれませんね。大層なものではなく、本来、素直にあたりまえに、誰しもがもっているものなのです。
暮らしの中でも伝えられることが多くあります。たとえば、公園の紅葉がキレイだったよ、と伝えるだけでも価値はあるのです。想像の世界に美しい風景を再生している素晴らしさがあるわけです。
最高の芸術作品などをつくり出すという役割を担っていなくても、身近な愛する人とそのような会話を交わすこと自体が、表現することなのですね。
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気のせいか例年にくらべてサザンカの花びらのシワシワが増しているように見受けられます。多分、気のせいだとは思いたいのすが、気温が高かったり雨の量が少なかったり、なにか原因があってそうなっているのか、ただの思い過ごしか。確かめてみるのには来年まで待たなくてはいけません。
何かを観察するときには、一瞬を観察することと、
時系列を追って観測する必要がでてくるのです。
人の成長を観ていても、若い人などは1年の間ですっかり、見た目も考え方も変わっていてビックリさせられることが、しばしばあります。きっと、そういう人は、心の奥底にある大いなるもののコトバに気づき、自分自身の存在を変容させるのでしょう。
いろいろな人と出会いお付き合いをする中で、前に自分がいっていた言葉をその人が発していたりするのを聴くと「あぁ伝わったんだな!」と歓喜に包まれたの気分になります。
ナウシカのように澄んだ心で世界を観て
何かを与え続けてゆきたいものですね。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/12/15