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思考の放射光線で ふたたび羽ばたく

第28週 10月13日〜10月19日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週も、「もう、自分のアタマで考えられるようになったでしょ?」に加え、「じゃあ、自分のコトバで発信してみようか?」と、さらにハードルが高くなっていきます…。自らの“翼”を信じて、羽ばたいてみよ!と…。秋なのに心は、春の巣立ちのごとく。

では、読み解いてまいります。

  

 

B‘. ACHTUNDZWANZIGSTE WOCHE (13. OCT. – 19. OCT. [1912])

28.
Ich kann im Innern neu belebt
Erfühlen eignen Wesens Weiten
Und krafterfüllt Gedankenstrahlen
Aus Seelensonnenmacht
Den Lebensrätseln lösend spenden
Erfüllung manchem Wunsche leihen
Dem Hoffnung schon die Schwingen lähmte.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912




  わたしの中の活力を取りもどし
  自らの存在の広大さを感じる
  思考の放射光線が放たれる
  内なる太陽の威光として
  人生の謎解きのため
  多くの願いをかなえるため
  宿望の翼がふたたび羽ばたきだす。



季節と反比例する内側



秋は、凜とした冷気によって気持ちが落ち着き、集中力が高まる季節ですよね。“読書の秋”、“芸術の秋”などというコトバにあるように、自然界とは反比例して、あなたの内側では、春を迎えるかのごとく、大地から植物たちが一斉にでてくるような感じではないでしょうか。

自らのテーマへの取組みが、まるでスイッチが切り替ったように加速し、活性化してゆくのに最適な季節になってきているのですね。


秋、長雨あがり、空もはれ
涼しさが丘陵にひろがる
ようやく夜の灯火にしたしみ
書物もひもとけることだろう

「符読書城南」韓愈(カタノ訳)



中国の唐時代の詩人 韓愈かんゆによって詠まれたこの詩が、夏目漱石の『三四郎』の中で、“燈火親しむべしなどといふ漢語さへ借用して嬉しがる様になった。”と引用されたことで、秋の夜長には読書が適しているというイメージが日本中に広まった。といわれているそうです。そしてそのあと、読書週間で、“灯火親しむべし”というワードが使われたことで、読書と秋の親和性が、さらに深まったようですね。

そして、“芸術の秋”も調べてみると由来があるようで。雑誌の『新潮』だそうです。1918年に発行された号に、“芸術の秋”というコトバがあり、それ以後、“芸術の秋”というコトバが広まったそうです。何か、老練なコピーライトが今も生き続けているのを知ると、心憎いですね…。

読書や芸術に限らず、食やスポーツ、文化なども何故か“秋”推しなのは、気候的に過ごしやすくなり、夜が長くなることで、文化的なことを、ほくほくと愉しむゆとりが、生まれるということなのでしょうか。


先生からも、あなたの内的な思考が、太陽のように解き放たれ、
自らの存在の広大さを感じられるだろう。と投げかけられています。


読書や鑑賞などだけではなく、自分と向き合い思考し、
表現していくように促されている感じがジワジワといたしませんか。



カラダで考える



今週のメッセージの中で、 

  思考の放射光線が放たれる
  内なる太陽の威光として
  人生の謎解きのため
  多くの願いをかなえるため

この部分をみてみると、大いなるものとのつながりが、季節を通してその体験や理解が深まり。人生や願いに対しても肯定的にとらえられる体質に変化してきているハズ、という自負みたいなものが、うかがい知れます。

ここでいう“思考”とは、他者や社会、自然、宇宙といったものと自己同一化した、自分です。その自分が大いなるものや外界との同一化への感受されたものとなり表現してゆくのです。

Gedankenstrahlen=思考光線とは、
光は、すでにあなたの内的な存在であり、
放射すべき段階であると、とらえられます。
つまり、「表現しろ。」と…。



先週に引き続きですが、先生に、


「わたしには、まだそんなの、ムリです…。」
「知識も経験も、ぜんぜん体得できていません…。」


と、いったところで


「そんなの、知らんがな。」



という、つれない返事が…。



ではどうすればよいのか?



自分のカラダで考えるのです。



具体的にどうやってカラダを使って考えるの?
教えてくれないと分からないよ!

というあなたに少しだけヒントを。


これは、わたしの若いころの話なのですが、仕事を習い始め、クライアントからのテーマをもらい、企画を進めていた時のことです。

わたしは、白い紙を目の前に置き、ペンを握り、企画を考えていました。
しかし、いい案は何も浮かばず…。

とりあえず、雑誌コーナーに行って、アイデアにつながりそうな記事を読みあさり。この辺の情報は使えるかも…と、コピーをとって席にもどってきました。

そしてまた、白い紙を目の前に置き、とってきたコピーをみつめ、ペンを握り、企画を考え、しばらく固まっていました…。


それを、みかねた先輩が、いやみ半分で


「何を考えているのかなぁ?」
と聴いてきました


「これこれこーで、いろいろとアイデアに行き詰まっています」
と返答すると


相談にのってくれるわけではなく
あきれた冷たい表情で、静かに言い渡されました…。


「今、自分でいったことを紙にかいてみ!」


はぁと、いいながら、紙のはじっこから、
小さく、いじけた感じで、かきだしてみました…。

そして、また、
先輩から放置されしばらくして、
机の上を覗き込んだ先輩から一言。


「小さいな…。紙の真ん中にドンとかくんだよ!」


はぁと、いいながら、しぶしぶ、かいてみました…。
すると、今回は間髪入れずに


「次の紙に、つまらなくても、新しいネタをかくんだ!」


そう言って机の前から離れません…。
そして、しぶしぶ、つまらないネタをド真ん中に書き出すと

「つまらない、次!」

といって、また

「つまらない、次!」

を繰りかえしました。
そして25枚目ぐらいになったとき


「なんか、それ、オモシロいな!次!」


とだけいって立ち去りました。



昔の体育会系クリエイティブの現場ですが、このようにして自分の中に眠っているものを、引きずりだす作業をしていたわけです。

ある日、仕事にも慣れてきて、同じようなアイデアだしをしていた時のことです。

先輩が例によって机をのぞきこみ
「それ、オモシロいなー」
と、しげしげ一枚の紙を取り上げました。


それは、




グシャグシャと
コトバがペンで消された一枚でした。




「この“グシャグシャ”が。いい。」


とだけいって、先輩はどこかに消えてしまいました。







2024年10月 無数の銀杏






自分でも気づいていなかった翼を使って、自らの領域をさらに大きく広げていく選択肢は無限に広がっています。

あなたの自由な発想で、自らの表現を通じて自分自身の存在価値を他者に示すことで、自分だけでなく他者にも影響を与えることになります。

こういう文脈ですと、翼は、自由や未知の空間へ羽ばたく象徴的なものとして片付けてしまいがちです。

しかし、みえない翼が、あなたにも、
はえていると、自覚してください。

子どものころに経験した、背中の肩甲骨あたりから、にょきにょきと小さく、みえない翼がはえてきている感覚を思い出してください。実際に、すべての人々に翼ははえているのです。

夢の中で、その感覚を体験していますよね?
鳥や天使ように、空を飛ぶことが可能なのです。

子どものころは、感覚としてしっかりと受け止めていられていたのに。成長のどこかで象徴的な概念にステップダウンてしまうというのは、どこかが麻痺しているといってもよいような気がします。


自分の背中にリアルな翼がはえているのだ!
という感覚を呼びもどしてみてください。



看脚下かんきゃっか

禅寺の玄関には伝統的に掲げられている看板がある。
「履き物を揃えて脱ぎましょう」
という標語として掲げられているものである。

師匠と弟子の禅問答の中で「足下を見よ」という意味ですよね、
という弟子に対して師匠は憤怒する。

そして弟子に問う
「ではどのように履き物を揃えたのか?」
「さぁ答えてみろ」とつめよる師匠。

その記憶は、弟子にはなかった…。

「体験の哲学」飲茶 著より抜粋

看脚下とは、あたり前のことを常に観察すること。足元に気をつけて生きる。つまり、自分自身をよく観察し自分の足元を直しながら、生き方について深い内省をしなさい。ということなのです。

足元をみると同時に、自らの人生をかえりみて、気づき、発見する。その所作の中には、そういう大事な意味が隠れているのですね。

そういう意味で“宿望の翼”をとらえてみてください。


肝心要な意味をみいだすのです。憧れや羨望だけではない、宿望という希望を持ってほしいと思うのです。そうすることで、今までとは少し異なる人生観がみえてくるかも。と感じられてきませんか。



希望とは?
自分とは何かという探求。
幸福への欲求。
そういった類いの概念によって、失われてしまう体験がある。

翼の
リアルな感覚を呼びもどすこと
翼の重さや
空気の抵抗感の感触をあじわうこと


純粋な経験が再び
脈動し


羽ばたきだす。
 





シュタイナーさん
ありがとう

では、また







Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/10/13






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