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刻まれる未来は 永劫から導かれる

第34週 11月24日〜11月30日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、あなたが昔から大切にしてきたことは何でしょうか?もしくは遺伝子に組み込まれているものは何でしょうか?それらとあなたの独自性、アイデンティティーと掛け合わさったときに、新たなる表現力が備わってゆくのだというメッセージのようです。

では、読み解いてまいりましょう。

 


  

H.‘ VIERUNDDREISSIGSTE WOCHE (24. NOV. – 30. NOV. [1912])

34.
Geheimnisvoll das Alt-Bewahrte
Mit neu erstandnem Eigensein
Im Innern sich belebend fühlen:
Es soll erweckend Weltenkräfte
In meines Lebens Außenwerk ergießen
Und werdend mich ins Dasein prägen.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912




  奇跡的に受け継がれてきたものと
  新たに蘇ってきた独自性で
  内なる蠢動しゅんどう を感じる
  それは目覚めさせようと大いなる力
  自らの遺物を残すことに注がれ
  生きた証が刻印されてゆくであろう。





新しいと感じるものは、時代に合わせた古いものである



今週は、昔から大切にされてきた、奇跡的に受け継がれてきたものを活かしながら、自らの内に新たに表れてきた(蘇ってきた)独自性、個性、アイデンティティーとを掛け合わせてください。そして、あなたが生きた刻印を残してゆくようにうながされています。

では、自らの生きた刻印とはいかなるものかを考え始めると、過去ではなく未来にむけての新しさが求められてくるのではないかと思います。

ただ、“新しさ”というコトバには過去を否定してゆくような側面がありますが、そうではなく、逆に肯定して、あなたの生き方に取り込んでゆく姿勢を学んでゆく必要があるのです。

表題にも書いた「新しいと感じるものは、時代に合わせた古いものである」という考えは、文化、技術、思想だけでなく、心の成長にも深く関わります。この考え方を探求するために、ニーチェの『永劫回帰』の思想をベースに掘り下げてみます。

ニーチェが提唱した永劫回帰とは、すべてが永遠に繰り返されるという思想です。この視点は、物事の循環的な側面に注目し、過去・現在・未来の区別を相対化します。“新しい”と感じられるものも、実際には過去の要素が再構成され、時代に適応した結果にすぎないのです。永劫回帰の思想に立つと、どれほど革新的にみえる発明や概念も、過去の経験や知識の変奏曲といえなくもないのです。

たとえば、インターネットの普及は社会に劇的な変化をもたらしました。その背後には古くから存在するコミュニケーションの形態や、情報を共有しようとする人類の根源的な欲求があります。郵便制度や電話、さらには印刷技術の流れを汲みながら、デジタル化とネットワーク技術を融合させた結果、インターネットという形に発展したのです。このように、あなたが“新しい”と感じる現象は、過去の遺物を現代風にアレンジさせたものなのです。

新しいものが生まれてくるのには、3つのプロセス、進化・再解釈・適応があります。生物の進化を例にとれば、新しい形質は既存の遺伝情報を基盤にして発生します。同様に、文化や技術の進化も、過去のアイデアを再解釈し、時代の文脈に適応させることで実現されるのです。

心の領域においても、このプロセスは同様なのではないでしょうか。古代からの宗教的教義や哲学は、現代の科学的視点や心理学的知識と融合し、新しい形で理解されるようになっています。たとえば、マインドフルネスは仏教の瞑想法に根ざしながらも、現代のストレス社会に適応した形で普及しています。このような再解釈と適応のプロセスにより、古い精神的な知恵が新たな価値を持つようになるのです。




残された課題がまだあるのか?




しかし現在において、あなたは、“新しいもの”や“世の中にはもう解決すべき課題がない”と感じられることも多いのではないでしょうか…


物質的な豊かさや、技術の進歩によって日常生活の多くの困難は次々に緩和されてきました。しかし、それは課題が本当に消えたわけではなく、むしろその大きさや本質が変化しているだけです。

美大生たちと対話する機会がありました。課題がだされ、その課題をこなしてゆくことが中心におかれています。たとえば、「環境配慮と○○の関係性をデザインせよ」といった具合に目的が示され、その答えを表現するというカリキュラムです。

しかし、状況はどうかというと世界はアイデアであふれています。先人たちが創造してきたものによって、世界中が充たされているのです。


学生たちはその豊富なアイデアの前で
戦意喪失し意欲が削がれてしまうのだといいます。



世界がまだ「暗い」時代においては、
アイデアは求められ、その創出に意味があった。

しかし、「明るい」時代になった現在では、
世界は光に充ちていて新しい価値をみいだすことが困難になった。

しかも現在では、アイデアを生みだすリソースは充分に揃っている。

■ヒト:クリエイティブ系の人財が増えた。
■道具:さまざま思考ツールが開発され、オープンイノベーションなどにより全ての人が創造に参加できるようになった。
■テクノロジー:すぐに情報にアクセスでき、知識やアイデアを簡単に入手できるようになった。

今や「世界はアイデアであふれている」のだ。

ロベルト・ベルガンティ『意味のイノベーション』TEDより



このような時代。あなたが、お手上げ状態になってしまうのもわかります。


もうすでに、世界中の誰かによって自分が思いついたアイデアより、はるかに高レベルなものが生みだされています。自分が努力して創造することに意味が見いだせなくなり、悩むのも当然なのです。

さらに追い打ちをかけるように、“自分らしく創造しなければならない”という強迫観念にかられ。目の前に巨大な壁が立ちふさがり、考えれば考えるほど、にっちもさっも身動きがとれなくなってしまうのです。


では、何をすべきなのでしょうか?



未来への方向性




ここでは、いくつかの例を示します。


まず、『課題の再定義』 についてです。かつては“効率性”“利便性”“生産性”を追求することが主な課題でした、現代では“質的な豊かさ”や“持続可能性”が重要なテーマになっています。たとえば、気候変動、社会的公正、心の健康といった問題は、従来の枠組みで解決できない複雑な課題です。

単に、便利さやコスパではなく、倫理感や社会的インパクトを考慮する必要があります。その新たな課題を発見し、解決する力として、アート的な感性や哲学的洞察が必要不可欠になってきています。

そこで考えられるのは、『無駄の再評価』です。現代は、効率化の時代を経てきましたが、それによって失われた“遊び”や“余白”の価値が見直されています。無駄とされてきたものが、新たな創造や幸福感につながる可能性があるのではないでしょうか。

たとえば、無駄を活かすアップサイクルのアイデアや、予測不能な結果を許容するデザイン戦略なども登場してきています。そして、多くの場面で、“人間らしさ”が問われる機会が増えてきています。

その背景には『技術と感性の調和』。AIや自動化技術の進歩により、効率性の追求はほぼ限界値に近づいています。一方で、感性の表現性を基盤とした価値が、新たな潮流になる可能性を感じている人も多いのではないでしょうか。

AIが、“論理的な問題解決”を担い、人間が、“感性的な課題発見”に注力する役割分担が進み、本当の“人間らしい豊かさ”にむけた、感覚的で共感的に共創してゆくアイデアが求められてくるはず。

そして『関係性をデザインする時代』へ突入していくのです。課題は、モノや仕組みから“関係性”へと移行しています。たとえば、孤独や分断といった問題は、物理的な資源ではなく人間同士のつながりを再構築することが鍵です。

焦点は、“個人”から、“コミュニティ”や“エコシステム”へと広がってきています。ソーシャルデザインや、共感を生む体験のデザインがますます主流となってゆくでしょう。

“もう課題がない…”と感じるのは、これまでの視点ではみえにくい新たな課題が台頭しているサインかもしれませんね。

現在は、単なる効率や利便性を超え、『人間性の本質や地球規模の持続可能性』に目をむける時代にシフトしていると考えられます。課題の枠組み自体を疑い、問い直す力がますます求められるでしょう。それによって、求められる美意識も大きく変化してゆくはずです。


これまでにない“新しいもの”は、必ず生まれてくるのです。





2024年11月ススキ




情報のシャワーを浴びる


情報にあふれ、光に充ちた時代であればこそ、奇跡的に受け継がれてきているもののシャワーを思いっきり浴びることも重要ではないでしょうか。

インターネットの時代になりスマホが身体の一部になり、情報があふれているように感じられますよね。ですから、「情報のシャワーを浴びてないんじゃないか?」なんてアドバイスされると、エッという顔をされるかもしれません。

部屋の中から雨が降っているのを眺めている状況と、
傘をささずに外に出て雨を感じている状況とを比較してほしいのです。


情報のシャワーを浴びるとは、つまり体験することなのです。


ネットで検索することは、情報の在処を知ることであり、情報の本質をとらえるには不十分です。調べて、現場に行き、体験すること(フィールドワーク)によって情報がえられるのですね。

まぶしい光に怯まずに、体験してみてください。

輝きの中に、にゅるっと手を差し込んで触れてみると
感じられるものが格段と違うはずです。

そこからヒントをえて、表現の糧にしてはどうでしょう。



持ち味を活かした表現



“自分らしく創造しなければ…”、という強迫観念を克服するヒントが、
今週のコトバに隠されていました。

『奇跡的に受け継がれてきたもの』とは伝統的なものとか、すでに評価が確立されているもの、そして、あなた自身のカラダに染みついているものです。それらを『自らに生まれてきた独自性』オマージュとして、思いっきり影響をうけてリスペクトしながら制作してみるのです。

そして『蠢動 しゅんどうとして感じる』、蠢動 とは、幼虫が土の中でごそごそと動いているような感覚こと。光がみえていなくも身体のどこかが動いている感覚。その身体感覚を心の状態として置き換えてみてください。

少し乱暴ないい方をしますが…。感じたりつくる時には、“自分らしさ”などと大それた主体的ものがなくても、まず、“自分の持ち味”をみきわめ、反応的に動かされていればよいのです。

もうひとつの“創造しなければ…”という途方もないコトバです。

光に充ちた現在において創造の意味合いは、巨大かつ複雑で、昔とはまったく違うものになっています。しかも、一人で、というより、集団や社会全体で構築してゆくものとしてとらえた方がよい時代です。一人ひとりの“表現”が重なり合い“創造”がなされる、と考えるべきです。

表現とは、誰しもが内的なものを感性的形象として外界にむけて客観化すること。その客観的形象は、作品といった記号的に落とし込んだものではなくても、身振り手振りであったり、顔の表情だったり、自然に出てくるものでも充分な価値があるのだと考えてみてほしいのです。


あなたの表現に価値があるのです。

「自分らしく創造しなければ…」から
「持ち味を活かした表現をしなければ…」と
コトバ使いを変えてみてはいかがでしょうか?








シュタイナーさん
ありがとう

では、また





Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/11/24


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