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不条理の中でこそ わたしのチカラを使う

第32週 11月10日〜11月16日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、自らにチカラがついてきていることを前提にして、そのチカラで世界に対して貢献してゆきなさい。そうすれば、あなたというものが何であるのかを知ることができるのだ。というメッセージです。では、どのような心持ちでのぞんでいったらよいのか、整理が必要かもしれませんね。

では、読み解いてまいりましょう。

 


  

F.‘ ZWEIUNDDREISSIGSTE WOCHE (10. NOV. – 16. NOV. [1912])

32.
Ich fühle fruchtend eigne Kraft
Sich stärkend mich der Welt verleihn
Mein Eigenwesen fühl ich kraftend
Zur Klarheit sich zu wenden
Im Lebensschicksalsweben.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912



  自らの力が結実する
  自らを鍛え外界に貢献し
  自らの存り方が際立つ
  人生を明晰なものに向ける中で
  運命が織りなされていく。




表現してから選択する




人生の意味や目的は、あらかじめ決められたものでもなく、あなた自身の選択によって、つくられてゆくのだと思うのです。

もちろん、周囲の環境や他者との関係性の中で形づくられるものです。しかし、あなたの小さな選択が結果に結びつくのを観察し、その過程でのさまざまな影響や支えに、深い意味づけがあるのです。

選択をするためには、感覚し洞察し表現(行動)する。といった活動がもれなく必要になってきますよね、占い師が「こちらの方が正しいですよ。」などと教えてくれるものではないですよね。

哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」といいました。これは、あなたが選択する自由を持ち、その選択の結果に責任を持たなければならないのです。本当に“生きる”って面倒くさすぎますよね…。

選択を避けることも可能ですが、それもまた一つの選択になってしまいます。そのような回避は、しばしば、不安や虚無を招くことにつながりませんか。

それを払拭するには、行動すること
課題は行動することでみえてくる。
のです。

実存主義哲学では「行動の中にこそ、意味が生まれる」と考えました。思考や理論だけで現実を完全に理解しようとしても、問題の抽象化や過度の分析に陥り、自己欺瞞や逃避に結びついてしまうのです。何か行動することで、現実に則した新たな視点や洞察が生まれ、問題の本質が明らかになってゆくのですね。

フランツ・カフカの『変身』で、主人公のグレゴール・ザムザはある日突然、巨大な虫に変わっていました。彼の変身は、物理的なものだけでなく、心理的・社会的な孤立を象徴しています。

彼がムキムキの仮面ライダーになることもなく、何も行動せず、ただ恐怖と混乱に囚われている限り、自らの状況を改善することも、課題を見つけることもできなかったのです。行動ができない状況がドラマなのですが、行動しないことで、ますます存在の意味を喪失していったのです。

問題を完全に解決することが可能とは限りません、むしろ解決できないものの方が多いのではないでしょうか。問題は多くの場合、世界の不確実性や、自分自身の限界から生まれてきて、一人では、ほとんどが解決などできないのです。こういうと絶望的に思われるかもしれませんね。

しかし、あなたは、問題を“軽減”し、状況を改善するための、課題を見出して動き出すことならできるはずです。このとき重要なのは、自分自身と“対話”し、鉄壁な答えを求めるのではなく、“意味のある表現(行為)”を選ぶことなのです。

アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』を通じて、“不条理”という概念を表現しました。シーシュポスは巨石を山頂まで運び上げるのですが、その石は必ず転がり落ちてしまいます。この無意味に思える行為の中で、シーシュポスは自らの行動に意味を見出し、反抗し続けます。彼はこの不条理な状況を“受け入れ”、それでもなお行動し続けることで、自分自身を肯定してゆくのです。

あなたのアイデンティティは、静的なものではなく、つねに動的につくられてゆくものなのです。表現(行動)することで、思考や洞察を確認し、あなたの信念を証明してゆくことで、人生の意味に気づかされてゆくのではないでしょうか。





利他



自らの力を結実させ、
鍛え向上させ、
世界に与えてゆきなさい

という今週のメッセージ。

これまでの復習を通して考えてみると、自分が与えられるているものを、惜しみなく表現して、世界に貢献してゆきなないという“利他”の心を強く感じませんか。

コロナ禍において“利他”の意識が深まりました。ソーシャルディスタンスやマスクの問題から始まり、医療現場やワクチン、経済的な支援など。SDGsなどの背景もあり社会的な“ウェルビーイング”として強調されるような場面が多くありましたよね。

利他の意識が、人として求められる道徳的なものだけではなく、社会的な構造として価値観が再構築されてゆくのを感じました。個々の利益だけでなく、共同体や人類全体の幸福を追求することが、持続可能で健全な社会を築く基盤となることが、おおよそわかってきました。

しかし、なんとなくではありますが、自らの利を求めるのは悪であり、一方的に尽くすことを推奨し、褒めたたえ、評価するような構造。そして、その圧力によって無理にでも他の役に立たなければいけない。悪い言い方をすれば、同調圧力による人のための利他。利他を所望するような構造には少し違和感があります。

利他の意識は、自己満足を追求することとは少し違う目的を持っています。本当の他者への支援や貢献は、自己の成長や幸福を結びつけた結果として行われるものです。重要なのはその意義を理解し、行動に移すことなのです。

仏教には、“自利利他”というコトバがあるそうです。修行によって得られた利益を自分だけが受けとる自利と、他の救済のために尽くす利他が合わさっています。 一見、相反する二つの考えを完全に両立させた状態にすることを理想としているのです。この思想はシュタイナーの考え方と共通する部分がありますし、共感をおぼえます。


大いなるものから与えられているもので

自らを鍛え、力をつけてください


ただ、ひたすらに表現し

ただ、ひたすらに尽くすために





2024年11月 育てられたいびつな菊



人生を織りなす


ゼウスの怒りを買って、永遠に山の頂きまで重い岩を運びあげるという作業を課せられたシーシュポス。

山頂まで運んだ瞬間、再び麓へ転がり落ちてゆく岩。

シーシュポスは、再び山頂に運び上げるために、麓に転がり落ちた岩を追いかけて山を下ってゆくのです。

そのときの気持ちは如何なるものなのでしょう…。それは、しばしコトバにあらわし難きもの…。深い感情だけがが押し寄せるてくることに間違えなさそうですが…。



坂を下っている、
このわずかな休息のときのシシュフォスが私を惹きつける。
……

重く、しかし確かな足取りで、終わりを知らない苦役くえきに向かって
山を下る男の姿が見える。
息継ぎのように、そして彼の不幸と同じように
確実に回帰してくるこの時間は覚醒の時間でもある。
山頂を離れ、ゆっくりと神々の巣穴に向けて
下ってゆくこの一瞬一瞬において、
彼は彼の運命に優越している。彼は彼の岩よりも強い。
……

彼が山を下りながら考えているのは彼自身の状況についてである。
彼の苦しみを増すはずのその明察が同時に彼の勝利を成就じょうじゅする。
どのような運命もそれを俯瞰ふかんするまなざしには
打ち勝つことができないからだ。

『日本辺境論』内田樹より“シーシュポスの神話”の訳



私たち、一人ひとりが、掃除をするかのような活動においても俯瞰するまなざしで観察してみれば、それぞれに、他に対して無限の責任を背負っていることがみえてきます。

そして、その責任を明晰な信念で表現(活動)してゆくことによって、あなたの人生や運命が織りなされてゆくというとこなのでしょう。

そのときに一本の糸をイメージするのではなく、糸の伏線は複数あり、美しく織りなされている感覚を持つことも大切なのです。

理想として、自分の利益を忘れ、みなが幸せになるように尽くすべきであると思えたらいいですよね。そのためには、まず、自分の利が何であるのかをみきわめる必要があります。感覚し、思考し、意志を持つことです。

大いなるものから、それぞれに与えられた信念は、一本の糸を紡ぐだけのものではありません。周囲との関係性の中で、わたしの糸とあなたの糸とが、織りなされ、表現してゆくのであると理解すべきなのでしょう。

数年前に“創発”というコトバが流行はやりました。空を飛ぶ鳥の群れをみたことがあると思いますが、何百羽もの鳥が、まるで1つの生き物のように滑らかに動いていることがあります。この現象は創発の典型的な例です。ここで注目すべきは、リーダーがいないことですね。

つまり、全体の動きを指揮する鳥は存在せず、個々の鳥は、幾つかのルールに従って動いているだけです。ルールは、隣の鳥とぶつからないよう衝突を避ける、周囲の鳥と同じ方向に飛ぶ、仲間から離れすぎないようにするなどシンプルなものです。

ルールは非常に単純ですが、それらが合わさると、結果的に調和のとれた“群”として動くことになります。全体としては想像もつかない複雑なパターンが創造されるというわけなのですね。

自律的な想いのある人が集まることによって、個々人の能力や発想を超えたイノベーションが誘発されるのです。これらをヒントに、新たな取り組みのキーワードとして、注目を集めました。これからの社会でのチームやコミュニティの連携において非常に重要な理論のベースとなったのですね。

いまでは、あまり創発というワードは使わなくなりました。しかし、企業間コラボなどはあたりまえになりましたし、対話の理論構築なども、この視点から拍車がかかったのです。

部分部分の単純な総和にとどまらない特性が全体として現れること。自律的な要素が集積し組織化し、個々のふるまいを超えた複雑な秩序やシステムが生じること。これらは、大きな意味での生命体活動といってもいいのではないでしょうか。

今週のコトバには、“自ら”というワードが連発しておりますが、その裏には、全体的な生命体活動へのつながりを理解しておかなければならないと思うのです。

人生における意味や目的は、あらかじめ決められたものではなく、あなたの表現と選択とによって、織り上げられていくものなのでしょう。

シーシュポスの神話が象徴するように、たとえ不条理の中でも、無意味にみえるものであったとしても、大いなるものとつながり、自己を肯定する何かを持っているのです。



日々の曖昧な暮らしの中で、

自らの覚醒の瞬間を感覚し、俯瞰せよ。




ということなのですね。





シュタイナーさん
ありがとう

では、また







Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2024/11/10




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